記事カテゴリ:

静岡・神奈川04 春栄(しゅんえい) 〜北信流のお肴

静岡・神奈川04.jpg

〈あらすじ〉 

 三島国府の奉行・高橋権頭(ごんのかみ)は、宇治橋の合戦で捕らえた敵を斬るよう源頼朝から命じられており、中に春栄という少年がいた。その兄の増尾太郎種直は、弟と一緒に死ぬことを望み、やってきた。が、春栄は兄を助けようと「残党の兄ではなく、家来だ」と言い張る。兄は承知せず、それなら腹を切るという。

 権頭は兄弟愛に感激し、処刑をためらっていたが、やがて覚悟を決める。そこへ鎌倉から助命を知らせる早馬が来た。一同は喜び、合戦で息子を失った権頭は、春栄を養子にしたいと言い、兄は承知する。3人は三島大明神に感謝し、親子・兄弟の盃を交わして、舞うのだった。


 謡曲「春栄」の作者は明確でなく、物語も典拠は不明。当時の巷のうわさをまとめたものとされている。ただ、謡曲では「宇治橋の合戦」とあるから、物語は1184(寿永3)年、木曽義仲と義経・範頼の鎌倉勢との宇治川の合戦と思われる。2万5000の鎌倉勢が400足らずの木曽軍に襲いかかり、義仲は粟津に追い詰められ、討ち取られた。増尾兄弟は、この合戦で敗れた側だから、木曽軍の武士だ。こう推測すると、謡曲は信濃と無関係でなく、身近なものになってくる。


 三島に「春栄」と直接結び付くような史跡はない。三島は伊豆半島の付け根に位置する要所にあり、奈良時代から伊豆の国府があった。三島大明神も古くから東海随一の神格とされ、中世以降は特に武士の崇敬を集め、頼朝の信仰が厚かった。伊豆に流された頼朝は、源氏再興の百日祈願をしたり、戦勝のたびに宝物を寄進した。

 したがって、大社には頼朝ゆかりの遺品・遺跡が多い。宝物館にある国宝「梅蒔絵手箱」は、頼朝の妻・政子が奉納したものだ。境内には頼朝、政子が休息した夫婦の腰掛け石がある。参道左の神池は、頼朝が放生会(捕らえた獲物を再び放つ儀式)をした池だといわれている。


 本殿の手前右には、国指定の天然記念物である金木犀の大木がある。樹高10メートル、周囲4メートル以上。秋には金色の花を咲かせ、時には8キロ先まで芳香が漂うという。樹齢は1200年を超えるというから、頼朝夫妻も同じ香りをかいだのだろうか。


 三島大社へはJR三島駅南口から楽寿園、桜川を経て徒歩10分ほど。三島は富士山からのわき水が豊富で、街の随所にせせらぎがある。桜川もその一つで、沿道には若山牧水、太宰治、正岡子規、司馬遼太郎ら文人、歌人の三島ゆかりの文学碑が10数基立っている。それを読みながらの散策は楽しい。

 「なお喜びの盃の影もめぐるや朝日影 伊豆の三島の神風も吹き治むべき代の始め 幾久しさとも限らじや 嘉辰令月とはこの時を言うぞ めでたき」。「春栄」の小謡の一節。兄弟や友人たちの集まりで、よく謡われる北信流のお肴の一つだ。

(2009年11月21号掲載)


写真:重要文化財の三島大社本殿



 
謡跡めぐり