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04 斬奸状 〜ホテル「犀北館」で所蔵

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 松代町の「象山記念館」は6月15日から9月まで、佐久間象山が暗殺された日に京都の三条大橋に掲げられたといわれる張り紙「斬奸状」(真田宝物館所蔵)=写真=を展示した。説明書きには「象山を殺害した事の正当性を記す」資料とある。140字余の文章で、縦35・6センチ、横84センチの大きさ。

 内容は次の通り。


 松代藩    佐久間修理 


此者元来西洋学を唱ひ交易開港之説を主張し枢機之方へ立入御国是を誤候大罪難捨置候処剰□□賊会津彦根二藩ニ与同し中川宮と事を諮り恐多くも

九重御動座彦根城へ奉移候義企昨今頻ニ其機会越窮候大□無道不可容天地国賊ニ付即今日於三条木屋町加天誅畢但斬首可懸梟木ニ之処白晝不能其義もの也

     元治元年七月十一日

         皇国忠義士


 「斬奸(姦)状」とは、辞典によると「悪人を殺す趣意をしたためた書き付け」とある。


 この斬奸状は1965年ごろまで、県町のホテル「犀北館」が所蔵。展示されたことはなく、好事家(こうずか)が閲覧していた。その後、長野市教育委員会が蔵書類などと一括して購入。現在は真田宝物館で一般公開している。


 斬奸状では1行目の文中に「西洋学を唱ひ」とある。これは北信地方で使う用語で、「唱え(へ)」とすべきだ。このため松代藩内の人物が書いたのでは-と指摘する研究者がいる。例えば、象山とは犬猿の仲だった郡奉行の長谷川昭道。ただ彼が書いたものかどうかは確認できないという。


 斬奸状とは直接関係ないが、松代町で取材中、地元の象山研究者が面白い言い伝えがある-と話してくれた。


 それによると暗殺当日、象山が馬に乗って現場(京都・木屋町付近)に差し掛かった時、轡取りが急に腹痛を訴え、厠に駆け込んだ。長時間戻らないので、象山は馬上でいら立っていた。その時、不測にも殺されたというのだ。


 轡取りの下痢が本物だったのか、虚偽だったのか。うそなら轡取りは天誅テロ集団"に買収され、象山の暗殺を容易ならしめた−というのだ。

 
象山余聞