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九州05 砧(きぬた)〜観音堂が史跡に

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〈あらすじ〉

 筑前国の芦屋に住む豪族が、訴訟のため都に滞在して早くも3年たつ。故郷に残した妻を心配して侍女を遣わし、今年中には帰れそうだと伝える。妻は侍女と一緒に砧を打ちながら心を慰め、夫の帰りを待つ。が、「今年も帰れなくなった」との知らせがあり、妻は夫を待ちわびながら病気で死んでしまう。

 帰国した夫は妻の死を知り法事を営むと、やつれ果てた妻の亡霊が現れる。夫を恨んだ妄執で地獄に落ち、苦しんでいるありさまを訴え、法華経の功徳によって成仏してゆく。※砧とは布を柔らかくしたり、つやを出すため木槌で打つこと。

  

 謡曲「砧」の舞台は、謡曲本には筑前国遠賀郡芦屋町とあり、今の福岡県芦屋町から遠賀川を5キロほどさかのぼった水巻町立屋敷辺りだ。この地方に伝わる風土記によると「当地に流されて来た王が住みついたことから館屋敷と呼ばれ、昔から景色が優れ、民がすこぶる多く、富豪も少なからずいた」とある。


 館屋敷から立屋敷と地名が変わったが、ここに400数十年前、念誉上人が開祖したという長専寺があり、その境内に小さな観音堂がある。付近の砧姫の墓といわれる古墳から出土した直径24センチほどの鏡を祭ったことから、「砧姫明神」とか「鏡観音」と呼ばれていた。が、木造の観音像と入れ替え、鏡を隣の八剣神社に移したところ、盗まれてしまったという。


 その神社にも砧姫伝説がある。日本武尊が大和国から熊襲征伐に来て、この里に泊まった時、砧の音を聞きつけた。若い姫が打っており、一目ぼれして契りを結び、尊が熊襲を退治して帰ると、姫は身重になっていた。そこで子どもが無事に育つようにと1本のイチョウを植えていった。そのイチョウだという古木が今も境内に茂っている。もっとも、この伝説は謡曲とは無関係。謡曲史跡保存会は長専寺の観音堂を史跡として、その前に駒札を立てた。


 長専寺へは、JR鹿児島本線の水巻駅で下車して徒歩約30分。私たちは国道3号線から近道で行こうとしたが、JRのガードが低くてバスが通れない。仕方なく農道を20分ほど汗をふきながら歩いた。寺に着いて、住職の奥方の湯茶の接待で一息ついた。また、住職が当保存会に1万円寄付されたと後で幹事から聞き、お賽銭を弾んだわけでもないのにと恐縮した。お寺さんからお布施を頂戴したなんて、私は無論、誰もが初めてだったに違いない。


 3日後、私は一人で熊本から下関まで鹿児島本線に乗った。ぼんやり車窓を眺めていると、見覚えのある福岡新水巻病院のビルが目に飛び込んできた。長専寺に行くためバスから降りた時、近くの高台に巨大な病院がぽつんとそびえていたので記憶していた。「そうか、あの辺りを歩いたのか」。瞬時ではあるが、そう思うと、「砧の里」は随分昔から知っていたような懐かしさを感じた。

(2008年11月22日号掲載)


写真=観音堂のある長専寺の正面入り口