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滋賀・京都05 賀茂(かも)〜糺の森に神域

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 〈あらすじ〉 京都の賀茂神社に参詣にきた神職が、神社内の川辺に祭壇があり、白い矢が立ててあるのを不審に思い、水くみにきた女に尋ねる。女は「昔、賀茂の里女が毎日水をくんでいたが、ある日、白羽の矢が流れてきたので、持ち帰って軒下に挿しておいた。ところが妊娠して男子を産み、その子が3歳の時、父は白羽の矢であると言って天に昇り、別雷の神となった」と教え、産んだ自分も神になったことを暗示して消える。しばらくして母の御祖(みおや)の神が現れ、続いて別雷の神が雷鳴をとどろかせて出現する。一緒に舞い、五穀豊穣を祈願する。


 謡曲「賀茂」の舞台は賀茂神社で、同神社の縁起がすなわち謡曲の物語だ。京都市街の真ん中を流れる鴨川の上流、賀茂川と高野川が合流する三角州に、古来から森林地帯があり、「糺(ただす)の森」と呼ばれている。賀茂一族が支配し、「賀茂の社」があった。これが奈良時代後期に「下鴨神社」と「上賀茂神社」に二分され、総称して「賀茂神社」と呼ばれるようになった。両神社とも国宝、重文級の建物が点在し、世界文化遺産に登録されている。


 糺の森に囲まれた下鴨神社=写真=には、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)と娘の玉姫命(たまよりひめのみこと)を祭ってある。その姫命が処女懐胎して、別雷(わけいかずち)を産んだ。境内の入り口は薄暗く、神秘的で参拝者の心を引き締める。森の広さは東京ドームの3倍余。樹齢数千年の樹木が茂り、右手には里女が水をくんだという御手洗(みたらし)川が流れる。謡曲の一節に「御手洗の声も涼しき夏陰や。糺の森乃梢より。初音ふり行く。郭公(ほととぎす)なお過ぎがてに行きやらで...」とある。静寂な情景の一部が今も残っていた。


 下鴨神社から賀茂川に沿って上流へ。桜並木を20分ほど歩くと上賀茂神社に出る。ここには別雷の神を祭ってある。一の鳥居から二の鳥居までの間に芝生が広がり、伝統の競馬神事が行われる。普段は開放され市民の憩いの場となっている。


 初穂料を払い、神主の案内で国宝の本殿・権殿を特別参拝した。千年の時の流れを越え、神域の前にたたずんで、一同は緊張した面持ちだった。


 両神社とも歴史が古いだけに例祭も多い。中でも知られているのは、合同で行う葵祭(賀茂祭)だ。王朝絵巻さながらの衣装を身に着けた総勢500人の大行列が、牛車を引きながら5月の都大路を練り歩く。この祭りは平安時代にも人気があり、源氏物語には見物に来た光源氏の妻・葵上と、愛人の六条御息所の牛車がさや当てし、争ったことが書かれている。謡曲でも「葵上」や「野宮」で、その場面が出てくる。


 このほか「班女」では、賀茂神社で吉田少将が狂った花子を見つけた。「生田敦盛」では、賀茂明神から少年が父・敦盛と会える霊夢を授かった。賀茂神社はこのように数多くの謡曲に謡われており、一度は訪れたい史跡だ。

     (清水昭次郎)

(2007年10月27日号掲載)

 
謡跡めぐり