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静岡・神奈川05 〜七騎落(しちきおち) 湯河原舞台に

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 〈あらすじ〉源頼朝は源氏再興の旗揚げをしたが、石橋山の合戦に敗れ、船で逃れようとした。この時いたのは主従8騎。父の義朝が平治の乱で敗走し、討たれた時も8騎で、8の数字は源氏にとって不吉な数字だった。

 そこで1人下船させよ、と家臣の土肥実平に命ずる。実平は人選に苦しみ、息子の遠平を下船させる。海岸には敵の大軍が迫っており、実平は息子が討ち死にしたものとあきらめ、悲しんでいた。

 ところが敵方だった和田義盛が味方に付き、船で追い付き、船底に隠してきた遠平を差し出した。一同は驚き、喜びの酒宴で舞う。


 この謡曲は源平盛衰記から取ったもので、作者は不明。伊豆に流され、20年間北条家に預けられていた頼朝は1180(治承4)年8月、当地の代官を襲撃して旗揚げした。しかし、平家に味方する3000の大軍に囲まれ、土肥杉山(湯河原町)の山中に逃げ込んだ。大杉のうつろに隠れ、敵将だった梶原景時に見逃してもらったり、洞くつに潜んだりして、かろうじて助かり、岩村の浜(真鶴町岩の海岸)から漁船に乗って房州に落ち延びた。

 頼朝の重臣として活躍した実平は、今の湯河原から小田原一帯に広がっていた土肥郷の豪族。JR湯河原駅辺りが館跡とされ、駅前広場に記念碑がある。また1979(昭和54)年、頼朝を中心とした東国武士団の興亡を描いたNHK大河ドラマ「草燃える」が放映され、実平夫妻の実物大の銅像が記念碑横に建てられた。


 湯河原駅から徒歩10分ほどの高台に、土肥家の菩提寺の城願寺がある。本堂裏には実平はじめ一族の66基の墓石が並び、境内入り口にビャクシンの大木がある。樹齢800年以上、実平の手植えといわれ、国の天然記念物に指定されている。

 境内には七騎落の武将の木像を納めた七騎堂が立っている。地元の歴史研究団体の土肥会が建立したもので、案内板には「頼朝の決起によって、王朝政治が終わりを告げ、武家政治の時代が開かれた。日本歴史を転換させた最初の戦が土肥郷を舞台として展開し、この合戦の参謀として活躍したのが、当地の土肥実平だった」と書いてあった。


 湯河原は、古くは万葉集にも詠まれた歴史ある温泉地。実平時代の中世の地名が残され、高層のホテルやマンションもなく「さがみの小京都」として景観が大事にされている。明治以降は多くの文人、墨客が逗留したり、ここで暮らした著名人も少なくない。

(2009年12月5日)


写真:土肥一族の墓石が並ぶ城願寺



 
謡跡めぐり