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05 望岳賦 〜修道院の裏山に

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 「男子禁制!」の東京・高円寺のカトリック修道院でベンチ代わりにー。松代町の象山神社境内に立つ「望岳賦」の碑=写真=には、こんなエピソードがある。


 賦は象山31歳の作。富士山を望み、その秀麗な姿を讃えた内容で、「桜賦」と共に象山の2大名文といわれる。富士は他の山々よりも雄大で崇高だとし、象山の大志と抱負を表している。賦を刻んだ碑は高さ3.6メートル、幅1.2メートル、厚さ24センチで、黒みがかった秩父石でできている。


 冒頭の逸話を詳しく調べようと、杉並区役所に電話してみた。高円寺は杉並区の管内だからだ。すると教育委員会の担当者が、その話は「杉並区史探訪」(1974年2月発行)に載っていると教えてくれた。


 執筆者は郷土史家の森泰樹さん。道端に転がっている石仏を起こしたのがきっかけで、郷土史研究にのめり込んだという人だ。


 同書によると−。徳川3代将軍家光は度々、杉並地方に鷹狩りに来遊。高円寺境内に遊猟御茶屋を設置して休憩していた。


 森さんは、昭和40年代から将軍直轄で若年寄支配の鳥見役人の役宅跡の在りかを調べていた。その結果、所在地は高円寺南のメルセス会修道院と分かった。そこで、受付のシスターに来意を告げたところ、「ここは男子禁制の女人の館。何も分かりません」と、つれない返事。


 森さんは粘って、庭内に何か遺物や石碑があるかどうかを尋ねた。すると、シスターは「裏山に大きな石碑が転がっていたのを見た」。森さんは歓声を上げて庭木戸に入って見ると、大きな石碑が寝かされており、それが何と象山の名作「望岳賦」だった。象山が江戸在府中、鳥見役宅に遊歴し、富士を仰いで詠んだのだろう−と森さんは推測している。


 1972年夏、象山神社は森さんからの連絡で代表者が上京し、譲り受けて松代に奉迎。翌年11月9日、同神社の創立35周年大祭の日に除幕した。

 碑の裏には「義弟、邨(村)上政信 建」として次の銘が刻まれている。


 遠近の山はかすみに

 うつもれてくもゐに

 のこるふじの白雪


(2010年11月13日掲載)

 
象山余聞