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京都06 小督(下)〜死後も一緒に

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 謡曲「小督」は、仲国が嵯峨野の小督の隠れ家を突き止め、高倉天皇への返書を受け取って京へ帰る場面で終わっているが、物語は続く。小督はひっそりと天皇の元に戻り、皇女を出産する。これを知った清盛は怒って、小督を無理やり尼にし、東山の清閑寺に追いやってしまう。


 悲しまれた天皇は病弱だったこともあり、21歳で亡くなられた。その際「死んだら小督のいる清閑寺に弔ってほしい」との遺言を残され、そのとおりに清閑寺で葬儀が行われ、埋葬されたという。


 清閑寺の正式名は「歌の中山清閑寺」。かつては広大な敷地を持ち、鎮護国家の官寺として東山に君臨していたが、応仁の乱ですべてを焼失した。今は住職が常駐しない無住寺となり、本堂だけが残っている。


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 清閑寺へは、京阪バスの「清閑寺前」で降りるが、坂道もあってかなり歩く。それなら「田村」で紹介した清水寺からの方が便利で風情もある。本堂を通り過ぎて裏門から外に出る。高台寺山国有林の林道で、ここが「歌の中山」と呼ばれている小道だ。訪れた時は3月半ば、ウグイスがしきりに鳴いていた。十数分歩いて清閑寺に。参拝者は私だけで、騒がしい清水寺とは別世界だった。


 境内に小督の供養塔という立派な法篋印塔(ほうきょういんとう)が2基。「要石」と呼ばれる大きな石もあった。ここに立てば、京都の町並みが扇を開いたような角度で眺望できることから、扇の要として名付けられた。尼として幽閉された小督も、ここに立って都をしのんだに違いない。


 寺の左側に高倉・六条両天皇の御陵があり、その高倉陵の横に小督の墓があるという。かつては清閑寺の敷地内だったのだろうが、今は宮内庁の管理下にあり、入り口の扉は固く閉じられ拝見できなかった。


 下京区の因幡堂町にある平等寺(通称・因幡堂)には小督の遺品がある。清閑寺の住職が平等寺の住職を兼ねていた時代があり、清閑寺が火災の際に、こちらに持ち帰ったという。


 本堂横の収納庫に重要文化財の仏像と一緒に、小督が弾いたという琴=写真下=や、小督の髪の毛を織り込んで作った布の掛け軸、愛用した硯と硯箱などが保存してあった。琴は現在のものよりやや小ぶりで、焦げ茶色に変色していた。

(2011年11月5日号掲載)


写真=清閑寺の小督の供養塔