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九州06 清経(きよつね)〜幽玄の情緒富む

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 〈あらすじ〉 平清経の家臣が京に帰り清経の妻を訪れて、清経が豊前国の柳ケ浦で入水自殺したことを告げ、形見として遺髪を差し出す。妻は「戦死や病死なら力なしとあきらめるが、自ら命を絶つとは」と驚き、夫を恨んで形見を受け取らない。

 涙にむせんでいる妻の枕元に、清経の亡霊が現れる。夫婦は言い争い、亡霊は妻をなだめるために当時の様子を語る。源氏に西国へと追われた平家一門は、すがる思いで宇佐八幡宮に参拝したが、神のお告げは冷たい。清経は神仏にも見放されたかと絶望し、死を決意する。月夜に船のへさきに立ち、横笛を吹き、朗詠し、念仏を唱えて海に沈んでいった。

   

 平清経は清盛の長男である重盛の三男。横笛の名手として知られた。栄華な生活から一転して戦乱のちまたに投げ出され、負け戦で絶望へと追いつめられ「雑兵に討たれるより」と自害した。享年21歳。これを題材とした謡曲は戦前、女々しい曲として敬遠されたが、最近は清経の心情が現代人に共感できる面もあり、「修羅物の中で最も幽玄の情緒に富んだ曲の一つ」(謡曲本)として謡われている。


 清経が入水した場所は大分県宇佐市柳ケ浦の駅館(やっかん)川の沖合い。河口付近の小松橋のたもとに高さ3メートルほどの慰霊碑と、清経の墓といわれる小さな五輪塔があり、横に謡曲史跡保存会の駒札が立っている。「小松橋」の名は、父の重盛が通称「小松殿」と呼ばれたことから付けられたという。


 小松橋へはJR日豊線柳ケ浦駅から徒歩約10分。橋から川は一段と大きく開き、周防灘へと流れ込んでいる。かつては橋の近くまで海だったというが、この辺りまで清経の横笛が聞こえてきたのだろうか。青く広がる海原を見渡して思いを巡らせた。


 小松橋から1キロほど離れた宇佐八幡宮も訪れた。冷たい神のお告げを下し、清経自殺の誘因ともなった宮だ。全国4万ともいわれる八幡様の総本社で、その広大な敷地と規模はさすがだった。国宝の上宮と下宮があり、上宮には三つの神殿があった。境内には若宮、春宮、八坂といった神社や宝物殿が配置され、能舞台まであるのには驚いた。


 廃線となった宇佐参宮線のドイツ製の蒸気機関車も展示してあった。参宮線は1916(大正5)年から約50年と短命。車社会に抗しきれなかったのか、「八幡信仰」の衰退か。たぶんその双方によるものだろう。


 清経入水の場所は、北九州市門司区大里の沖合だという説もある。そこにも足を延ばしてみた。が、宇佐八幡宮からは遠く、可能性は低いと思った。むしろ、この地にある御所神社が、安徳天皇の仮御所の跡地として知られる。「柳の御所」といわれるように入り口に柳が植えられ、石碑や案内板、平家の公達の歌碑などが立っていた。


 安徳天皇の母は清盛の娘の徳子。つまり清経とはいとこ同士だ。平家一門に連れられて都を落ち、この仮御所も追われた。そして祖母の二位殿(にいどの)に抱かれて、こちらは壇ノ浦の海に沈んだ。満7歳だった。無常以外の言葉がない。


(2008年11月29日号掲載)


写真=柳ヶ浦にある清経の石碑