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滋賀・京都06 通小町(かよいこまち)〜老いた姿哀れ

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 〈あらすじ〉 京都の八瀬の山里で修行している僧の下に、毎日、木の実を届ける女がいる。尋ねると「薄が茂る市原野に住む姥だ」と答えて消える。僧は小野小町の亡霊と察して市原野に行き、念仏を唱えていると、果たして小町の亡霊が現れ、弔って成仏させてほしいという。が、一緒に現れた深草少将の亡霊が、「私を置いてゆくのか」と言って妨げ、たもとを握って離さない。僧は少将にざんげを勧め、生前、小町に恋して百日通いしたありさまを再現させる。やがて少将が悟りを開き、小町も少将も共に成仏してゆく。


 平安末期の歌人・小野小町。クレオパトラや楊貴妃と並んで絶世の美女だったとされている。出羽国(秋田県)雄勝町小野で生まれ、13歳で都に上り、宮廷に仕えた。その美貌と才知で宮中に並ぶものがなく、貴公子たちから恋慕され、多くの伝説も残している。謡曲「通小町」はその伝説の一つだ。


 小町に深い思いを寄せた深草少将。「私の所に100日通ったら、思いを遂げさせてあげる」との小町の言葉を信じ、深草から小町の住む山科まで、5キロの道を毎晩通い続けた。が、99日目の雪の日、力尽きて倒れてしまう。謡曲では小町に振り回されて、通い続けた日々の少将の苦悩と妄執を語る。亡霊になってからも「煩悩の犬となって、打たるると、離れじ」と、少将のすさまじい執念を謡っている。


 僧が2人の亡霊と出会った場所は、鞍馬街道に行く途中の丘陵で、そこにある「小町寺」だ。正式名は補陀洛寺(ほだらくじ)。小町が晩年暮らした所とされている。その名も「小町寺」というバス停で降りると看板があり、案内に従って石段を上り切った所に小町の供養塔がある=写真。江戸時代初期の建造だという。また、その石段の途中に少将の供養塔があった。小町の塔より数十年後に建造されたのだが、小町の供養塔まで、あと一歩届かないところに建っているのは哀れだった。


 本堂に「小町老衰像」がある。骨と皮ばかりで、落ちくぼんだ目。痛々しい老婆像だ。庭には小町が老いた姿を映して悲しんだという「姿見の池」、その片隅に「穴目のすすき」が細々と生えていた。旅僧が野原を歩いていると、ススキの中から「あなめあなめ」(ああ痛い)と声がした。抜き取ってやると、そこに小町の髑髏があった、という伝説によるものだ。


 小町ゆかりの史跡は、ほかにも全国各地に数多い。が、美しい面影をしのばせる像などはほとんどなく、この寺のように老婆像や姿見池、供養塔のたぐいばかりだ。


 謡曲にも、若い小町の才気を取り上げた「草紙洗(そうしあらい)小町」がある。が、むしろ「老女物」となって、重く扱われている。「関寺小町」では、100歳となった小町の悲哀を描き、「卒塔婆小町」では、乞食となってさまよい、深草少将の霊に取りつかれて狂った小町を描いている。なぜ老いた小町の姿ばかり強調されてきたのか。その能舞台をじっくり鑑賞すれば、分かってくるかもしれない。


(2007年11月24日号掲載)



 
謡跡めぐり