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静岡・神奈川06 調伏曽我(ちょうぶくそが) 〜兄弟の仇討ち

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 〈あらすじ〉

 源頼朝が箱根権現(寺)を参拝した時、ここで修行していた箱王丸(後の曽我五郎時致(ときむね)が別当(僧正)に、列席した重臣たちの名前を尋ねた。中に父の敵・工藤祐経がいたので、にらみ付ける。

 祐経も気が付き「お前の父は流れ矢で死んだ。自分の仕業ではない」と言いくるめる。箱王丸は一行が去ってから、気後れしたことを悔やみ、太刀を持って祐経を追い掛けようとしたが、別当に止められる。

 別当は箱王丸の心情を哀れみ、護摩を焚き、祐経の人形を作って調伏(人をのろい殺すこと)の祈願をする。すると不動明王が現れ、人形の首を切り落とし、やがて仇討ちが遂げられることを暗示した。


 曽我兄弟の仇討ちは1193(建久4)年、頼朝が行った富士の裾野の巻狩りの際、十郎祐成と弟の五郎時致が、父・神津祐泰の敵の工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと、荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘と並んで、日本三大仇討ちの一つ。いわゆる「曽我物」と呼ばれる謡曲は10指近くあったが、今は調伏、元服、小袖、夜討、禅師の5曲が残っている。うち調伏曽我は宝生、金剛、喜多流だけで、観世流にはない。

 所領争いで神津祐泰が討たれた時、一萬丸(十郎)は5歳、箱王丸(五郎)は3歳。夫人の満江御前は曽我祐信と再婚したため兄弟も曽我姓となった。箱王丸は13歳の時、僧侶になるため箱根寺に預けられた。頼朝はこのころ、箱根権現のほか熱海の大権現、三島の大明神を信仰し、重臣を引き連れて参拝した。箱王丸が出会ったのはこの時だ。


 箱根寺は、芦ノ湖畔にある今の箱根神社で、明治の神仏分離で神社に変えられた。古くから山岳信仰の霊地とされ、うっそうとした森林の中に本殿や九頭龍神社、宝物殿などが点在し、本殿への石段の中ほどに曽我神社がある。朱色の小さな社で、江戸時代に小田原城主によって建立され、1993(平成5)年に「曽我兄弟800年」を記念して大改装された。


 神社前には「兄弟杉」と呼ばれる巨大な杉の切り株がある。箱王丸が木刀を振るって腕を磨いた杉という。

 宝物殿には曽我関係の宝物・遺品も数多い。兄弟の正装した木像や、物語の名場面を描いた江戸時代の錦絵などがあり、遺品の名刀も保存されている。微塵丸は木曽義仲が我が子・義高を頼朝に人質として預けた際に持たせた太刀。その後、頼朝が寺に奉納した。薄緑丸は義経が義仲討伐を祈願して奉納した太刀。両刀とも、兄弟が世話になった寺の別当に別れを告げに訪れた際、別当から渡され、仇討ちに使った。兄弟の死後、頼朝が再び寺に返したという。


 箱根へは久しぶりの訪問だった。箱根神社近くの関所跡も一段と整備され、日曜日とあって車と人であふれていた。かつての東海道最大の難所は、今は格好のドライブコースだ。かつての「天下の険」は、「天下の観光地」に大きく変ぼうし続けている。

(2009年12月19日掲載)


写真:改装された曽我神社

 
謡跡めぐり