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07 河野通勢象山像 〜卒業記念に寄贈

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 「8000万〜9000万円の値打ち」。長野高校にある河野通勢(みちせい=1895〜1950)の描いた佐久間象山像に対する同窓会・金鵄会関係者の評価だ。いささか"手前みそ"の気もするが...。


 この象山像=写真=は、生徒が出入りする昇降口の下駄箱の上方にある。といっても、それはレプリカ(複製)。本物は校長室にある横91センチ、縦117センチの油絵だ。


 黒船来航で物情騒然とする世情に、ぎょろりと鋭い眼光を向ける姿を描いており、旧制長野中学第14回卒業の通勢の代表作だ。


 1919(大正8)年3月、第19回生が卒業記念に寄贈した。


 制作を依頼したのは、後輩の水上民平=1898(明治31)年生まれ。民平の夫人で、元小児科医の淳子さん(87)=三輪=によると、夫の先祖は松代町の皆神山にある飯盛神社の宮司で、祖父の宥謙(雅号は雄風)は書家。1839(天保10)年に江戸で象山が「象山書院」(神田阿玉池)を開設したとき、塾長を務めた。


 この肖像画は、当時から「世界を目指せ!」とする同校の「精神的支柱」になっているが、時代の変遷で扱い方には変化がある。東京・八重洲で画廊を経営する同校卒業生の荒井一章さんが、こんな話をしてくれた。


 ある時、県信濃美術館の学芸員が「『河野通勢展』を開くので、象山の肖像画を見せてほしい」と訪ねて来た。物置から引っ張り出した肖像画はペンキ絵のようだったので、キャンセルして帰った。


 1997(平成9)年3月の調査・修復報告書によると、剥離と欠損があり、鑑賞の妨げになるため、剥離止めと洗浄、裏打ち、旧加筆の除去を行った。


 昨年10月には衣服の暗色部に剥離が生じ、左腕、壁の右縁にも乾燥亀裂が目立ち、修復した。2回の修復で160万円かけてよみがえらせたのは、荒井さんであり、複製(10万円)を寄贈したのも荒井さんである。

 

「象山の肖像画は当校の貴重な財産」と自負する中村公雄校長は「この絵の所有者は同窓会。預かっているが、校長室に置くのは本来、ふさわしくはない」としている。

 
象山余聞