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京都08 羅生門〜奇談を映画化

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 〈あらすじ〉

 源頼光が主立った家臣と酒宴を開き、その際、九条の羅生門に鬼が住んでいることが話題となり、渡辺綱が偵察に行くことになる。その夜、綱はただ一騎で羅生門に来るが、雨風が激しくなり、馬は恐れて進まない。綱は馬から降りて、訪れた証拠として立て札を立て、帰ろうとした時、鬼神が現れ、後ろから兜(かぶと)の錣(しころ)をつかんできた。綱は太刀を抜いて片腕を斬り落とすと、鬼神は黒雲に乗って逃げて行った。

    

 謡曲は、平家物語に載っている渡辺綱の鬼退治の武勇伝を脚色した。曲中にある「ともなひ語らう諸人に...」で始まる小謡は、北信地方の各種会合で最もよく謡われる「お肴(さかな)」の一つだ。仲間同士で酒を酌み交わすのに、適しているからだろう。


 羅生門とは平安京の時代、都の中央を貫いていた朱雀大路の南端に建てられた羅城門のことで、いわば「平安京の正門」。重層の入り母屋造り、高さ21メートル、幅35メートル、奥行き9メートルという大きな門だった。


 だが、高さや幅に比べて奥行きが短いこともあって風に弱く、816(弘仁7)年8月の台風で倒壊し、その後再建されたが、980(天元3)年に再び倒壊した。以後、そのまま放置され、その後の都の乱れもあって門は荒廃し、盗賊が住んだり、死体の捨て場となったりして、様々な奇談を生んだ。


 当時の門の薄気味悪い様子は、芥川龍之介が『今昔物語』から取材した短編小説『羅生門』に書いている。さらに同じ芥川の短編『籔の中』を、黒沢明監督が『羅生門』として映画化した。1951年のベネチア国際映画祭で最高位のグランプリを獲得し、この門の名は一躍世界に知られた。


 しかし、門は有名になったものの、今は遺構どころか跡形もない。ただ、南区唐橋羅城門町の花園公園内に「羅城門遺址」と刻んだ3メートルほどの石柱が立っている。京都市が1895(明治28)年、平安遷都1100年記念事業として、位置を正確に計測して建てたものだ。訪れた時は子どもたちの遊ぶ姿はなく、女性が一人、花を摘んでいた。


 公園から九条通りを200メートルほど北に東寺の南大門(重要文化財)がある。立て札に1601(慶長6)年再建とあり、羅城門より時代が新しく規模も小さいが、重厚な構えだ。「羅城門もこんな風格だったのだろうか」と眺めているうちに、どこの映画館で見たか忘れたが、映画『羅生門』に主演した三船敏郎や京マチ子の姿が思い出されてきた。

(2011年11月26日号掲載)


写真=公園内に立つ「羅城門遺址」の石柱