
〈あらすじ〉
曽我の十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟が、父の敵・工藤祐経を討つため富士の裾野にやってきた。これまで付いてきた従者の団三郎と鬼王に、母への形見を持たせて帰そうとする。二人は「最後まで供をしたい」と言い張り、「許されないなら刺し違えて死ぬ」と言うが、ようやく説得させられて泣く泣く帰っていく。
後半は一転して討ち入りの場面に変わる。兄弟は見事に仇を討つが、「十番斬り」の後、兄は討ち死にし、弟は女装した御所五郎丸に組み付かれて、捕らえられる。
「曽我物語」によると、このあと五郎は頼朝の前に引きずり出され、尋問される。頼朝は五郎の豪胆さにほれ込み、助けたいと思ったが、仇討ちが繰り返されることを懸念し、反対した工藤の息子に身柄を引き渡す。工藤に身を寄せていた筑紫(つくし)の仲太という男が、五郎の処分を買って出て、太刀をノコギリ状にして五郎の首を引きちぎった。これを聞いた頼朝が烈火のように怒り、「そやつを同じ太刀で擦り首にせよ」と命じた。男は郷里に逃げ帰ったが、五郎の亡霊に悩まされ狂い死んだとある。
兄弟の遺髪や遺書などの形見は、団三郎らによって母の満江御前に届けられ、すぐ続いて首級と遺骨も、頼朝の許しを得て曽我の里に運ばれた。十郎は22歳、五郎は20歳だった。
「夜討曽我」の史跡は富士の裾野である富士宮、富士の両市に数多く点在する。中でも知られているのは、富士宮市の国道139号線沿線にある「白糸の滝」周辺だ。この滝は富士の雪解け水がわき出し、高さ20メートルの断がいに千条の絹糸を垂らしたように流れている。滝つぼまで遊歩道が整備され、観光百選滝の部1位の名勝地だ。
それと対照的に、近くの芝川に落差25メートルの太い滝がある。兄弟が仇討ちの密議をしている時、滝音がうるさいので神に念じたところ、音が止んだという「音止めの滝」だ。林の中には兄弟が潜んだ「隠れ岩」、討たれた工藤の墓もある。墓は工藤の陣屋跡といわれ、仇討ちの死闘が展開された場所だ。墓石は小さなほこらに、ひっそりと納まっていた。
ところで、曽我の仇討ちで欠かせないのは、十郎の愛人、虎御前だ。名前は虎でも、十郎と出会った時は17歳のかれんな白拍子。二人の付き合いは1年7カ月足らずだった。兄弟の死を知った虎御前は、箱根寺で修行して尼となり、生涯、純愛を貫いて兄弟の霊を弔い続けたという。
虎御前は兄弟の分骨を抱いて善光寺にやってきた。その遺跡が善光寺の門前にある。表参道の東、武井神社横の小道の中ほどにある「虎が塚」だ。兄弟や虎御前の遺物が埋まっているという。
こうした虎の名が付く遺跡は全国各地に数多い。墓石や木像、姿見井戸、座った石などだ。それらは後の時代に「虎」と名乗る尼集団が輩出し、それぞれ足跡を残したもの、と歴史学者は推測する。
だが、虎御前が善光寺参りをしたことは「吾妻鏡」や「曽我物語」に明記してある。ホンモノと信じ、身近な「曽我の遺跡」として訪れたい。
(2010年1月16日号掲載)
写真=善光寺門前の「虎が塚」