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九州09 景清(かげきよ)〜悲しい父と娘

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 〈あらすじ〉

 平家の武将・悪七兵衛景清は源氏に敗れて日向国に流されていた。そこへ娘の人丸が従者を連れて、鎌倉から会いに来た。わら屋にいた盲人に景清のことを尋ねると「知らぬ」と言う。そこで近くにいた里人に聞くと「さっきの盲人が本人だ」と教える。景清は娘に気付いたが、落ちぶれていた我が身を恥じ、名乗りを避けたのだった。事情を知った里人は、2人を哀れに思って対面させる。景清は今度は素直に会い、娘の頼みに応じて、屋島の戦いでの武勇伝を得意そうに語って聞かせる。

    

 悪七兵衛景清の本名は藤原景清。悪七兵衛の「悪」は悪人ではなく、強者を指したもので、豪傑で7男だった景清は、通称こう呼ばれていた。謡曲では「大仏供養」にも登場する。平家が敗れた後も生き残り、源頼朝が奈良の大仏の落慶法要に来たところを狙って、一人で切り込む。


 これは景清の勇猛さを示した創作物の一つで、こうした景清をめぐる伝説や物語は数多い。能や浄瑠璃、歌舞伎などに登場し、屋敷跡、隠れ家、慰霊塚といった伝説の場所も全国各地にある。


 謡曲「景清」の舞台は宮崎市下北方。平和の塔や埴輪で知られる観光コースの平和台公園の裏側。その住宅地の路地裏に景清廟がある。中に景清の墓のほか、娘の人丸の墓、景清が拝んだという父母の慰霊塔、薬師如来や弘法大師の像などが。かなり傷んではいたが、それぞれ小さなお堂に納まっていた。


 ここに伝わる景清伝説は次のようだ。頼朝を襲った景清は捕らえられたが、その勇猛さに免じて斬首は免れ、宮崎に流されてきた。景清は仏門に入って修行していたものの、頼朝の隆盛ぶりに耐え切れず、自分で両眼をえぐり取り、空に向かって投げ捨てた。落ちた所は景清廟より南へ2キロほど離れた、今の「生目(いきめ)」地区だという。


 ここに両眼を祭った生目神社があり、眼の神様としてあがめられている。訪れた時は小雨模様で、人影はなかったが、春の大祭には神楽や出店が並び、JR宮崎駅から臨時バスが出るほどにぎわう。


 景清には遊女に産ませた娘がいて、知人に預けていた。その娘が長じて父に一目会いたさにやってきた。涙の対面の後、謡曲では、景清は「もはや幾ばくもない命だから、故郷に帰って私を弔ってほしい」といって、別れを惜しむ娘を帰す。一方、伝説では、娘は盲目の父に尽くし、27歳の若さで先立ったとある。いずれにせよ悲しい父娘の物語だ。


 宮崎といえば、いま東国原知事の登板で※明るい。県庁の正面玄関には等身大の知事の写真が飾られ、観光客はそれを囲んで写真を撮っている。制服の守衛さんがシャッターを押してくれるサービスぶりだ。


 こうした中で、ともすれば忘れられている景清だが、「はるばる訪ねて来るお客さんは、年に1人か2人おります」とタクシーの運転手さん。私のような物好きな仲間が「まだいることはいる」と知って、ほっとした。

(※2009年1月10日号掲載)


写真=景清廟の正面入り口


 
謡跡めぐり