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10 真珠湾奇襲 〜攻撃できず歯ぎしり 艦隊の上空を哨戒〜

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 真珠湾攻撃は1941(昭和16)年12月8日未明(ハワイ7日)、日曜日に米海軍の太平洋艦隊と基地を狙い奇襲を決行しました。


 直前の12月2日、日本軍大本営は海軍空母機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文を発信しました。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領だった台湾の山の名(現・玉山)で、当時の日本最高峰(3952メートル)でした。一二〇八は12月8日のことで「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」との意味の符丁です。ちなみに攻撃中止の電文は「ツクバヤマノボレ」でした。


 隊長にねじ込む

 私たちの小隊は、艦隊の上空哨戒を命じられました。攻撃に参加し男らしく戦いたかった私は納得できず、「何で行かせてくれないんですか」と隊長にねじ込みました。しかし「攻撃している間に母艦がやられたらどうするんだ。こっちの任務の方が大切なんだ」と言われ、仕方なく引き下がりました。攻撃前夜、酒が振る舞われましたが、私は飲むどころではなく、悔しさのあまり、よく眠れませんでした。


 当日は夜明け前の闇の中を我々の零戦が真っ先に「蒼龍」の甲板から飛び立ちました。上空で我々が哨戒する間に、第一攻撃隊が続々と飛び立ちました。どうしても気持ちが収まらない私は、未練がましいとは思いながらも、攻撃に行く仲間に途中まで付いて飛びました。母艦の上空哨戒は1回2時間の5交代で、私はその日、最初と3回目の2回任務に就きました。攻撃から帰還した兵たちは鼻高々に戦果をしゃべるので、面白くありませんでしたね。


 第一波空中攻撃隊はハワイ時間7時49分に真珠湾上空に到達し、総司令官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト...のト連送)を下命し、7時53分、旗艦「赤城」に対して「トラ・トラ・トラ」を打電しました。「ワレ奇襲ニ成功セリ」の符丁です。8時過ぎには、加賀飛行隊の九七式攻撃機が投下した800キロの爆弾が米戦艦「アリゾナ」に命中。前部火薬庫が大爆発し、1177人の将兵と共に大破沈没しました。


 8時54分、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命。奇襲から立ち直った米軍は各陣地から反撃を行いましたが、かなりの損害を受けました。この後、もう1回攻撃を続け、石油タンクや海軍工廠の修理施設など港湾施設を徹底的に破壊することを三川軍一中将が意見具申し、山口多聞少将が受け入れを促したそうです。だが、南雲忠一司令長官は、もう十分やったからよいとし、具申は採用されなかったと聞いています。


  これはえらいことに

 あの時、燃料タンクをもっと徹底的にやってしまった方が、より奇襲の効果があったと思いますね。米軍の戦艦8隻を撃沈または損傷で行動不能にし攻撃は成功しましたけれど、攻撃の一番の目標だった航空母艦がいなかったことを聞き、米軍がいずれ攻撃してくることは分かり切っていましたから、これはえらいことになったと思いました。


 真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領の要請によって、米国議会は日本に対して宣戦布告。10日にはヒトラーが軍部の反対を押し切って米国に宣戦布告し、第2次世界大戦はヨーロッパからアジア・太平洋を含む世界規模の戦争に突入しました。

(聞き書き・松原京子)

(2012年6月30日号掲載)


=写真=爆発炎上する米太平洋艦隊の戦艦(アリゾナ記念館所蔵)


 
原田要さん