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京都10 頼政〜平家に追われ自害

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 〈あらすじ〉 

 旅僧が宇治の里に来ると、一人の老人が現れ、付近の名所・旧跡を案内し、平等院では源頼政が自害した芝跡を教え、「自分は頼政で、今日が命日である」と言って姿を消す。僧が読経していると、武装した頼政の霊が現れ、当時の戦の様子や、扇を敷いて自害したことなどを語り、成仏を願って芝の草陰に消えていく。


 謡曲「頼政」は平家物語を典拠とした。頼政は「土蜘蛛」でも紹介した源頼光の直系の子孫といわれる。平治の乱では平氏側に味方し、清盛の全盛時代を巧みに乗り切り、「従三位」にまでなった。妖怪・鵺(ぬえ)退治の武勇伝もある。ただ内心は平氏一門の日頃の専横に耐えかねていた。


 1180(治承4)年、後白河法皇の皇子・以仁王が平氏討伐の令旨(命令書)を下した。頼政はそれに呼応して立ち上がったが、計画が漏れ、平氏の大軍に追われた。以仁王と逃げ、宇治川で対峙したものの敗れ、頼政は平等院内の芝生に軍扇を敷いて自刃した。77歳だったという。


 宇治は平安京が築かれて以来、天皇や貴族の別荘地となり、平等院は「源氏物語」に登場する光源氏のモデルといわれる源融の別荘だった。それが宇多天皇、藤原道長と渡り、道長の長男・頼通が寺院に改装したという。


 平等院へは、京阪宇治線の宇治駅から徒歩5分、JR奈良線の宇治駅から徒歩15分ほど。宇治川の西詰めから商店街を抜けると表門に着く。正面に進むと池の中に鳳凰堂が建っている。


 幾多の戦火から免れた、平安時代をしのぶ貴重な遺構だ。外観、内部とも豪華絢爛で極楽浄土を思わせる。正面から見た堂の建物は、1951(昭和26)年から10円玉に刻まれている。


 表門の左には謡曲で「釣り殿」と呼ばれる観音堂があり、その横に頼政が自刃した扇の芝があった。参拝客から隠れるように、ひっそりとした片隅だ。芝生は扇形に刈り込んであり、傍らの案内板には歌人でもあった頼政の辞世の和歌が書いてあった。


 埋木の花咲くこともなかりしに

 身のなる果ては あわれなりけり


(埋もれ木に花の咲く日がないように、華やかな時はなかったが、

 死ぬ時だけは人並みに哀れな最期を遂げるものよ)


 無念さがにじみ出ているが、頼政の旗揚げは伊豆の頼朝、奥州の義経、木曽の義仲らに伝わり、平氏追討の導火線となった。その死は決して無駄ではなかった。

(2012年1月14日号掲載)


源頼政が自刃した平等院の鳳凰堂