記事カテゴリ:

静岡・神奈川10 放下僧(ほうかぞう)〜瀬戸神社舞台

静岡・神奈川10.jpg

 〈あらすじ〉

 鎌倉時代、下野(しもつけ)の住人・牧野左衛門は、湯治場で相模国の利根信俊とけんかをして殺された。その子の小次郎は出家した兄を口説き、2人で放下僧に変装し、仇討ちの旅に出る。一方、信俊は近ごろ夢見が悪いので、瀬戸の三島神社に参詣に訪れ、ここで兄弟と出会う。信俊は自分を仇と狙う兄弟とも知らないで、禅問答に興じ、兄弟は舞ったり歌ったりしながら油断させ、隙をみて信俊を討ち果たす。

   

 この謡曲は作者や典拠など不明。当時の巷のうわさ話だが、登場人物が実在していることから、実話ともいわれる。ただ、曽我の仇討ちに比べてあまり知られていないのは、悲劇的だった曽我に対し、放下僧は主君から賞賛され、余命を全うしたため、世間の同情と関心が薄かったからだ、とされている。


 放下僧とは旅芸人のことで、僧侶の姿をしていた。街頭で手品を演じ、こきりこを鳴らし、小歌を歌ったりして人気があった。謡曲も仇討ちそのものより、放下僧のしぐさを見せ場にしている。


 謡曲の舞台は瀬戸の三島。今の横浜市金沢区にある瀬戸神社で、京浜急行電鉄・金沢八景駅のすぐ近くにある。神社の手前を国道16号線が走り、国道を挟んで平潟湾が広がっている。


 源頼朝が1180(治承4)年、信仰していた伊豆の三島明神を、ここに勧請(かんじょう)(分霊)したのが瀬戸神社の始まり。当時は神社の周辺が海で、平潟湾は鎌倉の外港としてにぎわい、遠方からの参拝は、海上から訪れるのが一般的だったといわれる。


 瀬戸神社の向かい側の海辺に琵琶島弁天社がある。こちらは頼朝の妻・北條政子が琵琶湖の竹生島にある弁財天を勧請したものだ。かつては海中にあり、橋で結ばれていたが、今は陸続きとなっている。この一帯は古くからの景勝地で、金沢八景の一つの「瀬戸の秋月」として知られる。 


 瀬戸神社の正面は祭りの提灯で飾られ、本殿前にある手水(ちょうず)舎付近が仇討ちの場所だったという。横に立つ謡曲史跡保存会の駒札には「当時は鎌倉と房総を結ぶ交通の要所で、諸国去来の人々でにぎわった。ここで兄弟が仇と出会ったのもうなずける」とあった。


 神社には重要文化財に指定されている「陵王」「抜頭(ばとう)」という舞楽面が所蔵されている。頼朝の次男・実朝が愛用していた面で、実朝暗殺後、政子が我が子を弔うために奉納したと伝えられている。


 いまの神社は仇討ちとは無縁。「交通安全」「家内安全」に御利益があり、境内に茂る樹齢200年のクスノキは、「子どもの守護神」とか。


(2010年1月30日号掲載)


写真=国道16号線沿いにある瀬戸神社

 
謡跡めぐり