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九州11 碇潜(いかりかずき)〜平家の末路描く

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〈あらすじ〉

 京の僧が平家一門を弔うため長門国早鞆(はやとも)の浦に来ると、老人が舟でやってきた。壇ノ浦まで乗せてもらい、合戦の様子を尋ねると、老人は「平家の教経が源氏の大将・義経を追い詰めたが、八艘飛びで逃げられ、敵兵2人を両脇に抱えて入水した」と教経の武勇伝を語って消える。

 僧が経を唱えていると、今度は平知盛と安徳天皇の祖母・二位殿らの亡霊を乗せた船がやってくる。知盛は「戦いはこれまで」と二位殿に覚悟を促し、二位殿は満7歳の安徳天皇を抱いて入水する。知盛も奮戦した後、碇を重石にして沈んでいく。

    

 平家物語から取材した、壇ノ浦での平家の末路を描いた謡曲。表題のように知盛の最期に重点を置いたものだが、謡曲本は「物語を多く詰め込み過ぎているので、統一を欠いている」と指摘している。ただ、知盛が碇を引き上げて頭上に戴き、海底に飛び込む場面は、平家物語や源平盛衰記にはなく、作者(不明)の脚色とされている。それがそのまま伝えられ、後世の芝居やドラマなどに登場し、銅像にもなっている。


 謡跡の舞台は関門海峡の壇ノ浦(区域は山口県だが、九州との関連が深いので九州編に加えた)。JR下関駅からバスで10分、安徳天皇を祭った赤間神宮前で降りる。国道を挟んで右に壇ノ浦海岸が広がり、左に赤間神宮がある。まず目に付いたのは、朱色で竜宮造りの水天門だ。二位殿が入水する時、「波の底には竜宮という都がございます」と安徳天皇に涙で語ったことから、天皇の霊を鎮めるために、こうした門が造られたという。


 赤間神宮は、かつて阿弥陀寺という寺だった。明治の廃仏毀釈で神社となり、昭和に入って神宮に格上げされた。阿弥陀寺の名前は、地名として残っている。境内には天皇の御陵のほか、知盛ら平家七盛の墓、地元の伝説「耳なし芳一」を祭ったお堂などがあった。


 次のバス停「みもすそ川公園」まで、海岸を眺めながら1キロほど歩いた。ここは壇ノ浦古戦場跡として、知盛が碇を振り上げている像と、義経の八艘飛びの像が対峙して建ててあった。NHK大河ドラマ「義経」に出演した俳優の手形も石に刻まれ、若い人たちの人気を呼んでいた。


 道路一つ隔てて、関門トンネルの人道入り口があり、エレベーターで潜ってみた。このトンネルは車道の下に人道がある二重構造で、双方とも国道2号線だという。人道は無料で、幅4メートル、長さ780メートル、海面下は最大58メートル。しばらく歩くと、真ん中あたりに「山口県」「福岡県」と書いて、地面に線が引いてある。海底の県境だ。10数分して門司側に着いた。地上に出ると、初回に紹介した和布刈(めかり)神社の真後ろだ。懐かしいというより、旅が振り出しに戻ったような妙な錯覚を覚えた。


 それにしても、源平の修羅の戦いで多くの武将や女官が沈み、二位殿が「竜宮」といった海の底を、カメラ片手にてくてく往復したのは感無量。今回の謡跡巡りの締めくくりに、ふさわしい体験だった。

(九州編おわり)

(2009年1月24日号掲載)


写真=義経(左)と知盛の像


 
謡跡めぐり