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静岡・神奈川11 六 浦(むつら)〜称名寺が舞台

 〈あらすじ〉 

 旅の僧が相模国六浦の称名寺に立ち寄ると、紅葉の盛りなのに一本だけ紅葉していない楓がある。そばにいた里女に尋ねると、中納言為相(ためすけ)卿がここに来てほかに先駆けて紅葉している楓を見つけ、「いかにしてこの一本にしぐれけん 山に先立つ庭のもみじ葉」と詠んだ。


 すると楓は光栄に思い、それ以来紅葉しなくなった。「『功なり名を遂げて身退くは天の道』という教えに従ったのでしょう」と語る。僧は物語に感心して読経していると、里女は楓の精となって現れる。「草木も成仏する」と感謝して舞を舞い、明け方に消えてゆく。

  

 冷泉(れいぜい)為相は鎌倉時代中期から後期にかけての公家の歌人。祖父は新古今和歌集などの選者である藤原定家、父は藤原為家。楓を詠んだ和歌は為相の歌集『藤谷(ふじがやつ)集』に収められており、謡曲「六浦」はこれを題材として作られた。


 ただ、この和歌は称名寺で詠まれたとの確証はないという。だが、母の阿仏尼は訴訟のために、京から鎌倉をしばしば訪れていることは、その著書『十六夜日記』に詳しい。為相も訴訟を引き継いで鎌倉を訪れ、鎌倉で生涯を閉じている。称名寺のある六浦の里一帯は「金沢八景」と称された景勝地であり、為相が好んで訪れたことは十分考えられる。


 称名寺は北條一族である金沢北條氏の祖、北條実時が開基した。1258年、居館内に建てた阿弥陀(あみだ)堂が起源とされ、以来、一族の菩提寺として続いてきた。隣接する金沢文庫は、実時が収集した政治、歴史、仏教などの膨大な和漢書が収められていた。金沢北條氏の滅亡後、徳川家康など時の権力者に持ち出され、今は主として称名寺の国宝、重文などの文化財が展示されている。


 称名寺へは京浜急行「金沢文庫」駅から徒歩20分ほど。案内の矢印に従って住宅街を抜けると参道に着く。「放下僧」の瀬戸神社からは徒歩で30分ほど離れている。往年の伽藍、堂塔の多くは消失しているものの、重文の金堂、釈迦堂、鐘楼などが見どころで、仁王門から金堂にかけて広がる浄土式庭園は美しい。1987(昭和62)年に復元されたもので、荘厳なたたずまいから、鎌倉の昔の面影がうかがえる。


 金堂の前の池のほとりに1本の楓があり、これが和歌に詠まれた「六浦の楓」だ。むろん、当時の楓ではない。かつての大木は40年ほど前に枯れてしまい、そのまま放置されてきたが、98年、横浜市金沢区制50周年を記念して、境内で薪能が演じられ、それを機に新しく植えられた。古典に記録されていた挿絵から「トキワカエデ」と分かり、その若木を植樹したという。


2010年2月6日号掲載



写真=美しい称名寺の庭園


 
謡跡めぐり