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11 河上彦斎 〜「逆袈裟の斬り上げ」で斬殺

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 佐久間象山を一刀のもとに斬り捨てた下手人は、熊本藩士の河上彦斎(げんさい)=写真=である。"人斬り彦斎"の異名を持つこの人物は−。


 オンライン百科事典「ウィキペディア」や、熊本県立図書館の郷土史担当者によると、彦斎は1834(天保5)年12月、肥後国熊本新馬借町(現熊本市新町)の小森家に4人兄弟の次男として生まれた。


 11歳で河上彦兵衛の養子に。16歳で城のお掃除坊主に上がるまでは、藩校で学問や剣道に励んだ。5尺(150センチ)足らずの短身痩躯。色白で頬骨が高く、一見女性のような容姿。外見は優男だが、性格は怜悧冷徹で「恐ろしい男」といわれた。


 彦斎が人を斬る際は、右足を前に出して折り、左足を後ろに伸ばして膝を地面すれすれに接し、右手一本で斬りかかる居合い的な「逆袈裟の斬り上げ」だった。


 64(元治元)年7月11日夕刻、外出先から帰って来た象山は、三条大橋のそばで馬慣らしの最中。通りの角を曲がった瞬間、前田伊左衛門(因幡松平家の家中)と、南次郎(平戸脱藩浪士)らが左右から挟み撃ちに。


 足を斬られた象山は、驚いて愛馬を走らせた。宿舎が目の前に迫ってきたところで、今度は彦斎が馬の前に飛び出し、馬は棒立ちに。象山は落馬。間髪を入れず、彦斎の初太刀が胴を薙ぐ。象山は刀を抜こうとしたが、二の太刀が頭を割り、絶命した。


 彦斎は反政府活動をしたかどで熊本藩に捕らえられ、71(明治4)年、東京に護送され、ろくな裁判も受けずに斬首。享年38だった。


 筆者は彦斎の孫、利治さんに取材しようと京都市教委、熊本県教委などを通じて調べたが、消息は一切不明。


 そこで、京都の友人に調査を依頼した結果、居合の「河上道場」を経営していたが、閉鎖し他界していた。だが、利治さんに弟子入りした人に会えるかもしれない−との連絡が届いた。ただし「民族派の重鎮だから心して面会するように」とのことだった。

 
象山余聞