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12 空中戦 〜ウェーク島を攻略 セイロン島も襲撃〜

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 真珠湾攻撃の後、我々第2航空戦隊の「蒼龍」と「飛龍」は本隊から離れ、ウェーク島攻略に向かいました。


 ウェーク島はアメリカ本土とグアム・フィリピンを結ぶ作戦上にある米軍の中部太平洋における重要な拠点の一つ。日本軍は12月8日から攻撃していましたが、思うように攻略できず、我々に協力を求めてきたのです。


 この時に苦い思い出があります。12月22日に零戦3機、爆撃隊16機で出撃。目標に向け進路に入った直後、急降下してきた2機のグラマンに襲われ、あっという間に誘導機は火だるまになりました。零戦直援は敵機発見と同時に向かったのですが、最初の一撃は防ぎようがなく、目の前で墜ちていくのを見ているだけで、どうすることもできませんでした。


 「日本の至宝」も撃墜

 追撃されたもう一機に乗っていたのが、ハワイ空襲時に4000メートルの高度からでも必ず命中させる腕の持ち主で「日本の至宝」とまでいわれた金井昇一飛曹でした。金井さんの死は全軍に布告され、海軍全体が喪に服しました。日本軍はウェーク島を12月27日に完全攻略し、その後は「大鳥島」と命名し、直轄地として統治しました。


 この作戦中の12月11日に家内が長男を出産していましたが、私は知る由もありませんでした。

 内地へ帰還し、休む間もなく翌年1月に「蒼龍」「赤城」「加賀」「飛龍」の4隻は再び南方作戦に出撃し、セレベス島ケンダリー基地へ進出しました。ところが、ここでは不思議な現象が起きていました。夜な夜な兵員がうなされたり、寝ていた者が急に大声を上げてはね起き、抜刀して暴れたり...。「オランダ人が住民を大量虐殺したので、その怨霊が出るのだ」などとうわさされ、旧海軍軍人なら誰でも知っている「ケンダリー幽霊騒ぎ」は軍医や専門家による調査でも原因は不明でした。


 大東亜戦争が始まる直前、イギリスはアジアに多くの植民地を持っていました。その一つ、セイロン島(現スリランカ)にハリケーン戦闘機を大量に送り込んでいるという情報をつかんだ日本軍は1942(昭和17)年4月、英東洋艦隊を駆逐するため、コロンボ港を襲撃しました。


 この空襲時に、ハリケーンに次いで私が最後に追い詰めて墜とした敵戦闘機は「フルマー」でした。大きいからすぐ墜ちると思っていましたが、なかなか墜ちない。めちゃくちゃ追いかけ、相手をジグザグ飛行させると敵機との距離が5メートル、10メートルまで接近しますから、相手の顔がよく見えてつらかったですね。


 深追いし過ぎ、時間を費やした私は集合時間をオーバー。燃料も少なくなり、帰艦をあきらめ自爆を決意し目標を物色していたところ、ひょっこり零戦が1機、後ろから上がってきました。私の零戦には小隊長のマークが付いていたものですから、喜んでピタッと編隊を組んできました。


 母の顔した雲が誘導

 そこで1人で探すよりも2人の方が母艦を発見する確率も高いので、離れて飛びました。いくら探しても一向に見つからず、燃料もほとんどゼロになり、もうダメかと弱気になった時、水平線の彼方に母の顔の形をした雲が浮かんで、「こっち、こっち」と呼んでるように見えました。その時です、若いパイロットの機がサーッと急降下していくのが視界に入りました。私もその方向へ降りて行くと母艦の姿が小さく見え、奇跡的にたどり着くことができました。

(聞き書き・松原京子)

(2012年7月14日号掲載)


=写真=英空軍のホーカー・ハリケーン戦闘機

 
原田要さん