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京都12 卒塔婆小町 〜謎多い老女物

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 〈あらすじ〉高野山の高僧が都の近くで休んでいると、乞食の老婆が来て卒塔婆に腰を下ろした。注意すると老婆は反論し、仏道の知識をまくしたてるので高僧は恐れ入り、身分を尋ねると「99歳になった小野小町のなれの果て」という。老婆は今の境遇を嘆いているうちに、若いころ思いを寄せてきた深草少将の怨霊が乗り移り、狂乱状態となる。そのうち正気に戻り、悟りの道に入りたいと願うのだった。


 才色兼備で多くの男性を惑わせた小町も100歳まで生き延び、垢にまみれ、乱れた白髪に破れ笠、汚れた袋を首に掛けた乞食となった。


 この伝説の出所は、平安後期の漢詩文である「玉造小町壮衰書」とされ、兼好法師も徒然草で「小町の衰えたさまは玉造という書に見えたり」と認めている。謡曲はこれに深草少将の百日通い伝説を加えたものだ。


 小町の老女物は、ほかに「関寺小町」「鸚鵡小町」がある。なぜ彼女の老衰零落が取り上げられたのか。それには、どんな美人でも必ず朽ち果てる、とする女色への戒め、美人を鼻に掛け男を寄せ付けない高慢への戒め、などの説がある。小町については謎が多い。


 生まれは「出羽の郡司、小野良實の娘」(謡曲)といい、一応、秋田県湯沢市小野とされている。そこから銘柄米「あきたこまち」や秋田新幹線「こまち」の名も生まれた。だが、生誕地ばかりか寺や墓、供養塔など小町ゆかりの史跡は全国各地に点在し、いずれも真偽が定かでない。


 京都市山科区の小野地区は、かつて小野一族が栄えた場所で、そこにある随心寺は小町の屋敷跡といわれる。地下鉄東西線小野駅から徒歩5分ほど。深草少将が思いを遂げようと、5キロの道を通い続け、99日目に倒れた舞台でもある。


 境内に小町の歌碑や、化粧の井戸跡があり、奥書院には黒ずんだ卒塔婆小町像が安置されている。訪れた時はテレビ局がロケの真っ最中。新春番組の「忠臣蔵」だとか。そういえば同区西野山に、大石内蔵助が討ち入り前に潜んだ居宅跡があり、今は大石神社が立っている。しばらくスタッフに紛れて見物した。


 本堂裏の雑木林には、丸い石を重ねた文塚があった。小町が言い寄ってきた男たちの恋文1000束を埋めたと伝えられている。薄暗い木陰の下に、ひっそりと立っていた。ふと近くの幹を見ると「スズメバチに注意」の貼り紙。あたふたと写真を撮って退散した。小野小町は、やはり近づき難い女性だった。


写真:ひっそりと立つ小町の文塚