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12 彦斎の孫 〜祖父同様に和歌詠む

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 象山を暗殺した河上彦斎の孫・利治さん=写真左=に弟子入りした人は、大日本生産党最高顧問の鴨田徳一さん(88)=写真右・京都市伏見区在住=だった。古武士をほうふつさせる面立ち。話す言葉は論理的で迫力があり、かくしゃくとした応対ぶりだった。


 彦斎は日本史辞典(角川書店)や日本史人物事典(講談社文庫)にも載っている。


 鴨田さんは香川県出身で、子どもの時、父親と共に京都に移住した。青年時代に杉本五郎・陸軍中佐の書いた「大義」を買い求めて、尊皇思想に傾倒。やがて鴨田青年は大日本生産党に入党。愛国運動の道に入る。


 大日本生産党とは、鴨田さんによると、「生産」党の由来は古事記にある「生み」「産(むす)び」から引用したもので、物質面の生産だけを指しているのではなく、人間の精神面をはじめ一切の生と事物の創造・発展を言い表す。いわゆる「物心一如」の世界観だ。


 結党は1931(昭和6)年6月。中心人物は内田良平(1874〜1937)。福岡県生まれの国家主義運動家で、「中国革命の父」といわれる孫文が日本に亡命中に支援し、同党の初代総裁に就任。3代党首が河上利治さんだった。


 鴨田さんは4代目の党首となり、20年間務め現在に至る。


 利治先生(鴨田氏はそう呼ぶ)と鴨田さんは起居を共にし、「利治先生から懇望されて46年2月、先生の奥さんの妹と結婚。先生とは義理の兄弟」と話す。


 利治さんは66年11月13日に他界した。享年59。祖父の彦斎と同様、和歌を詠み数百首を残している。


 おおちちの ゆづりの太刀を ぬきあひて わがたまゆらも くだけよとうつ


 おおちちとは祖父、河上彦斎が事なり。党首として志を君国に献げ、これに生命をかけるは全て、祖父の血統を継ぎ、その道統を継ぎて生きんが為なり。


 65年春に出版した『龍洞(利治氏の雅号)歌集』の注に書かれた歌意である。

 
象山余聞