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静岡・神奈川13 盛久(もりひさ)〜平家物語に典拠

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 〈あらすじ〉

 平家の家臣・主馬判官(しゅめはんがん)盛久は捕らえられて、鎌倉に護送されることになる。都を出る時、日ごろ厚く信仰している清水寺の観世音に最後の祈りを捧げる。


 盛久は由比ガ浜で処刑される前夜、老僧が現れて「私が身代わりになろう」という不思議な霊夢を見る。明け方、斬首されようとした時、盛久が抱いていた経巻から発した光で処刑人の目がくらみ、太刀を落として二つに折れた。


 これを聞いた源頼朝は「自分も同じような夢を見た」と言い、観世音のお告げであるとして助命する。舞の名手だった盛久は、所望されて舞うのだった。

    

 長門本・平家物語に典拠した謡曲。主馬判官とは馬回りを司る役人のことで、盛久は父の代から引き継いだ。壇ノ浦の合戦で平家が滅亡した後、生き延びて京に隠れ、清水寺に日参して平家一門を弔っていた。だが、源氏の厳しい残兵狩りで捕らえられ、鎌倉に送られる。護送役は「七騎落」にも登場する土屋三郎。土屋は盛久を哀れみ、最後の参詣を許したり、処刑の日を教えたりしている。


 助かった盛久はさっそく、清水寺へお礼の参詣に訪れたところ、処刑日の同じ時刻に観世音像が倒れ、腕が壊れたことを聞かされる。その観世音像は現在、縁あって東京・上野の山にある「清水観音堂」に本尊として安置されている。


 盛久処刑の舞台は鎌倉市長谷。無人駅の江ノ電「由比ガ浜」で下車し、由比ガ浜通りに出る。右折して長谷東町バス停付近に来ると、大きな木が茂っており、その下に三つほど石碑が並んでいる。「主馬盛久乃頸座(くびざ)」と刻んである。鎌倉町青年団が1935(昭和10)年に建てた石碑が一番新しく、説明文がはっきりしていた。ここから由比ガ浜の海岸までは700メートル余りもあるが、当時はこの一帯が砂浜だったのだろう。


 石碑の横に駒札がある。どこかで読んだ文面だと思ったら、数年前、謡曲史跡保存会の事務局から依頼されて私が書いた幾つかの駒札の一つと気が付いた。別れた子どもと旅先で巡り合ったようで懐かしかった。


 石碑の裏側は静かな住宅街で、小道を進むと鎌倉文学館がある。旧前田公爵の別邸で重厚な洋館だ。前田家から鎌倉市に寄贈され、85年に開館している。中には鎌倉にゆかりのある近代文学者約300人の原稿や手紙、愛用品などが展示されている。近くに吉屋信子や川端康成が住んだ記念館もあった。


 鎌倉は神社仏閣・史跡の「歴史の町」だけではない。「鎌倉文士」の言葉が生まれたように、「文学の町」でもあることを、ここに来てあらためて知った。


(「静岡・神奈川」編終わり)

(2010年3月6日号掲載)


写真=盛久の石碑と駒札(右端)


 
謡跡めぐり