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13 彦斎は犬侍か 〜自説曲げぬ「もっこす」

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 「犬侍」という言葉がある。武士道をわきまえないような侍をののしっていう語-と国語辞典にある。象山を暗殺した熊本藩士・河上彦斎(げんさい)の所業は、佐久間家ならずとも、にっくき仇敵。信州人なら、そのような捉え方をするだろう。


 象山を斬った直後の彦斎は、寄寓していた因州藩(鳥取藩)の藩邸=写真囲み=に帰ると、井戸端で足を洗っていた。


 そこへ、因州藩士の吉岡正臣が通りがかり、彦斎の下駄に血糊が付着しているのを見とがめ、理由を尋ねた。狼狽した彦斎は「なに、いま途上で狂犬を斬った」と答えた。吉岡は重ねて「犬とは申せ、随分ひどい血糊だ」と不審がると、彦斎も包みきれず笑いながら、佐久間象山を斬ったことを打ち明けた。


 2人は座敷に上がり、その(斬った)刀を持っているのは危険だ-として、吉岡の刀と彦斎の刀を取り替えた。象山を斬った刀は無銘の朱鞘だったという。


  この話は『京都史蹟めぐり』(寺井史郎著、1934年発行)からの引用だが、「にっこり笑って人を斬る」話のようで、慄然とする。


 幕末の京都に吹き荒れた「天誅テロリズム(恐怖政治)」の一幕だが、彦斎は単なる"人斬り"ではなく、詩歌や文学も解する憂国者だった−とする論者もいる。


 熊本には、一度言い出したら自説を曲げぬ頑固一徹を指す用語として「肥後もっこす」がある。彦斎ももっこすの気風に懲り固まった侍だったようだ。明治・大正・昭和の言論界をリードした熊本出身の徳富蘇峰(1863〜1957)は、彦斎を評して次のように書いている。


 「先生は吾が東肥の産出したる俊傑の一人。先生結髪、志を立て尊皇攘夷の事に従ふ。維新回天の偉業漸く成るに際し、其志を守りて世と忤ひ、遂に其の躬を亡ふに到る。あに悲しからずや」(大日本生産党機関紙「民族公論」の河上利治党首追悼号)。 


 彦斎は和歌を詠み、多くの作品がある。歌集『述懐』から一首。

 国のため死せし骸に草むさば赤き心の花や咲くらん

 
象山余聞