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14 煙雨楼 〜象山ゆかりの旅館に

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 京都市を撮影した航空写真に、以前佐久間象山が住んだ邸宅が写っている。鴨川河畔の絶景の地にあり、象山は「煙雨楼」と命名。京の古雅な美しさを楽しむには最高の居宅だった。


 写真は1947(昭和22)年ごろ、京都市中京区の分析計測・医用画像診断・航空産業機器の世界的メーカーである(株)島津製作所が撮影したもので、京都の「維新を語る会」の会員が手に入れたものをコピーした。


 右の写真の上部中央に写っているのが京都市役所。そこから真下に目を移すと鴨川。その付近にあった象山邸は間口12メートル、奥行き約50メートル、約600平方メートルもある豪邸だった=写真左=白壁の家で、屋敷には多くの使用人が在住していたという。茶室(松代町に移築した「煙雨亭」)もあった。


 象山寓居跡は明治以降、三井財閥のお屋敷になった。その経緯は定かでないが、幕末に長州藩に資金面で援助をした功績により、三井家が手に入れたとみられている。


 その後、地権者の要請で旅館になったりした。現在は駐車場と、商業施設が入居する6階建てのビルになっている。旅館として利用されたころの名前は「象山荘」。象山ゆかりの旅館として結構、利用者があったという。


 戦後の昭和20年代後半、京都では赤化思想の撲滅を目指し、象山を暗殺した河上彦斎の孫に当たる河上利治氏が「赤化防止団」という結社を創設。利治氏は同志との会合場所として、象山荘をよく利用していた。


 国家主義運動家の大川周明や東京駅頭で浜口雄幸首相を狙撃した佐郷屋留雄、5・15事件で犬飼毅首相を暗殺した三上卓らが一堂に会し、象山荘で宴会や会合を開いたこともあったという。


 象山亡き後、数奇な運命をたどった象山邸だが、象山暗殺の下手人の子孫たちが頻繁に利用するとは、象山も思いもよらなかったことだろう。

 
象山余聞