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京都15 小鍛冶(こかじ)〜伝承を脚色

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 〈あらすじ〉 一条天皇から剣を打つように命令された三条宗近は、自分に劣らぬ腕を持つ相槌者がいないため困惑する。氏神の稲荷明神に祈願すると、童子が現れ、日本武尊の草薙の剣の逸話などを語った後、「自分が力を添える」といって消える。宗近が鍛冶場で待つと、稲荷明神が狐の姿になって出現し、相槌を打つ。見事な剣を仕上げ、表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘を入れ、「小狐丸」と名付けて朝廷に捧げた。

    

 宗近は平安中期の名高い刀匠で、信濃守粟田藤四郎と号し、東山粟田口三条坊に住んでいたことから「三条小鍛冶」とも呼ばれていた。謡曲は、その宗近にまつわる伝承を脚色した。

 

 宗近の作品は現存するものは極めて少なく、あっても多くは伝説的なものだという。「小狐丸」も残念ながら現存していない。ただ、確証を得ている代表作に国宝「三日月宗近」がある。足利将軍家に秘蔵の名刀として継承され、それが秀吉、寧々、徳川秀忠と渡って、以来、徳川将軍家の所蔵となった。戦後、個人の手に渡り、平成になって東京国立博物館に寄贈されたという。


 東山区の粟田口は、平安から鎌倉時代に多くの刀匠が住んでいたと伝えられ、今も「鍛冶町」として名をとどめている。謡曲「小鍛冶」の史跡もここに幾つかある。一つは親鸞聖人の遺骨が安置されている浄土真宗の聖地・仏光寺本廟だ。地下鉄東西線「蹴上」で下車して徒歩5分。境内の奥まった所が宗近の屋敷跡といわれ、「三条小鍛冶宗近の古跡」と刻んだ大きな石塔が立っている。


 もう一つは、同廟から少し下った所に粟田神社があり、その入り口に鍛冶神社がある。ここも宗近の旧宅跡とされ、宗近を祀ってある。神社のすぐ下に「こかじ」という名の小料理屋があったのは、いかにもこの町らしい。


 神社から三条通りに出て、旧市立白川小学校の向かい側に、相槌稲荷がある。宗近が相槌を打った小狐に感謝して建てたという由緒ある稲荷だが、それにしては粗末だった。狭い裏小路が参道で、入り口に謡跡保存会の駒札が立ち、その下に「私有地につき夜間の参拝はお断り」と書いた板が張ってあった。


 奥に進むと数軒の民家があり、玄関先や裏庭、台所の横を遠慮しながらくぐり抜けると、朱色の小さな祠にたどり着いた。


 夜間の参拝を禁止したのは、最近、怪しげな人物が出没し、家の中をのぞき込まれるからだという。地域として史跡を護ってゆくのは、何かと気苦労が多いようだ。

(2012年3月17日号掲載)


写真=相槌稲荷の入り口


 
謡跡めぐり