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京都18 葵上 〜「葵の巻」に典拠

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 〈あらすじ〉 光源氏の正室・葵上が物の怪に取りつかれ、病の床に就いている。枕元で照日の巫女が梓弓を鳴らして、その正体を呼び戻すと、破れ車に乗った六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の怨霊が現れ、尽きせぬ恨みと屈辱を晴らそうと葵上を責め立て、車に乗せて連れ去ろうとする。そこで祈祷師の比叡山横川の小聖が急きょ呼ばれ、一心に祈る。怨霊は鬼女となって、両者は激しく戦うが、鬼女は法力に祈り伏せられ、成仏して去っていく。

    

 源氏物語の「葵の巻」に典拠したもので、物語を知らなければ、この謡曲と能楽は理解できない。御息所は元皇太子妃。夫の死後、娘とつつましく暮らしていたところ、7歳年下の源氏にくどかれ愛人となる。だが、源氏の愛は夕顔に傾いたと知り悩んでいた。


 賀茂祭の日、新斎宮となった娘の儀式が行われ、それには源氏も参列するとあって、御息所はこっそり車で見物にやってきた。会場の一条大路は大変な人出で、来合わせた源氏の正室・葵上の車と衝突し、そうと気付いた葵上の従者たちに車を壊され、侮辱された。


 御息所はそれ以来、葵上を深く恨むようになった。恨みと嫉妬が高じて怨霊となり、それが肉体を離れて、妊娠していた葵上に襲いかかる。謡曲はその場面を鬼女対祈祷師の対決として面白く脚色したものだ。原典では葵上は男の子を出産した後、前回の夕顔と同様、物の怪に取りつかれて死んでしまう。心にやましさのある源氏だけが、その正体を知っていた。


 この謡曲にはこれといった史跡はないが、賀茂祭は葵祭と名を変え、毎年5月15日に盛大に行われている。総勢500人を超える行列が、平安時代の姿で飾り、御所を出発して牛車を引いて練り歩く。わが国で最も優雅で、古趣に富んだ祭といわれている。


 女同士の車が争った一条大路は、平安京の一番北の通りで、現在の一条戻橋の辺りとされる。鎌倉時代に漢学者の葬列がこの橋を通り掛かった時、息子と会って生き返ったという伝説から、「戻橋」と名付けられた。


 頼光の家臣・渡辺綱の鬼女退治,陰陽師・安倍晴明の橋占いなどの逸話もある。嫁入り前の娘は、実家に戻らないようにと橋を渡らず、戦時の出征兵士は、無事に戻ってくるようにと渡った。伝説と暮らしに根付いた橋だ。


 平安時代から堀川の同じ場所に、何回か造り直され、今の橋は1995(平成7)年に架けられた。流れる水が少なく、川底は公園として整備されている。橋から見下ろすと、若い母親と2人の子どもが無心に遊んでいた。

(2012年5月19日号掲載)


写真=車争いがあったとされる一条戻橋