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19 定鑑堂 〜「維新の3舟」が宿泊

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 象山が蟄居、謹慎中、多くの門弟や薩長の志士たちが松代へ「陣中見舞い」に訪れているが、その時の旅籠は紺屋町の「定鑑堂」=写真=だった。 


 「帝鑑間は徳川幕府、江戸城中ニテ諸大夫(大名の家老)ノ詰所ノ名。...筆頭ハ桜井、榊原、本多、小笠原等ノ譜代大名、ココニ詰ム。支那ノ歴代ノ賢帝ノ事跡ヲ襖ニ畫ケリ」(「大言海」)


 旅籠側が「帝」を「定」に改めたのだろう。女将の飯島公子さん(77)によると、旅館になったのは明治初期。江戸時代は両替商、書籍販売業だった。夫で社長の政治さん(81)で13代目になる。


 象山を慕う勝海舟(西郷隆盛と会談、江戸城の無血開城をなし遂げた。象山の夫人、順子は妹)、山岡鉄舟(剣客。戊辰戦争時に勝海舟の使者として静岡に行き、西郷隆盛と会見。勝・西郷会談の途を開いた)、高橋泥舟(槍術の名人。将軍・徳川慶喜の身辺護衛)も、象山を訪ねて定鑑堂に宿を取った。


 この3人は「維新の三舟」(「幕末三舟」とも)と呼ばれ、遺墨は骨董業界で高値で取り引きされている。


 定鑑堂は三舟の遺墨を何本も所蔵しているが、泥舟の書だけは誰のために、何のために書いたものかを書き添えた「為書」。飯島社長は「泥舟は旅籠代が払えず、書で払ったのではないか」と推測している。


 「定鑑堂は信州の実家」と語るのは、栃木県出身の坂本保富・信大全学教育機構教授(63)=松本市在住。坂本青年は40〜50年前の学生時代、夏休みになると象山に関する卒論、修士論文を書くために定鑑堂に宿泊。2階の和室に陣取り、1〜2週間も滞在した。


 この間、地元の象山研究家・郷土史家の大平喜久間、象山先生顕彰会長の斉藤勲(元松代郵便局長)、象山記念館の橋本重幸各氏(いずれも他界)らから教えを受け、研究者として出発した思い出の地という。


 『鬼平犯科帳』『真田太平記』などを著した歴史小説作家の池波正太郎も宿泊している。

 
象山余聞