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20 象山を顕彰する七言絶句 〜川島浪速の漢詩

 追懐佐久間象山先生

 気骨稜稜絶比倫

 遠謀夙抱大経綸

 尊王復古且開国

 眼識當時第一人


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 松本市出身の旧陸軍通訳、川島浪速(1865〜1949)=写真右=は慶応、明治、大正、昭和を生き抜き、佐久間象山を顕彰する冒頭の漢詩を作って門弟に贈っている。


 この漢詩の読み方を全日本漢詩連盟会員・二松学舎大学詩文会会員の寺島芳永さん(74)=安茂里小市=に教わった。次のような内容という。


佐久間象山先生を追懐す

気骨稜々 比倫を絶す

遠謀 夙(つと)に抱く大経綸

尊王復古 且に国を開かんとす

眼識は当時の第一人


 浪速82歳の作で、七言絶句。平声(ひょうしょう)真韻。「スケールの大きな漢詩で、韻も平仄(ひょうそく)も規則通り」との批評だ。


 川島浪速は松本藩士の生まれ。若くして上京し、中国語をマスターして通訳となる。


 排外思想に駆られ、各国公使館を囲み大暴動と化した1900年の「義和団の乱」では、日本軍が派遣した福島安正将軍(松本市出身、シベリア単騎横断者)の通訳として北京入り。騒乱での活躍を見込まれ、清王朝が「川島借用」を明治政府に要請。中国で警察組織の創設や指導をしたことで知られる。


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 浪速は特に清王朝の実力者、粛親王善耆と意気投合。"義兄弟"の盟約を交わし、この縁で第14王女、金璧輝(後の川島芳子)を養女にもらい受け、自分の娘として養育。芳子は「男装の麗人」と呼ばれて一世を風靡した。


 この漢詩は須坂市在住の林日女子さんの所蔵。作家だった父親の林杢兵衛(本名・利七)さんが、信濃町の黒姫山荘に隠居していた川島に私淑。その時、生まれた「日女子」の名付け親が川島で、46(昭和21)年ごろ杢兵衛さんに頼まれて書き与えたようだ。


 林仁兄(友人に対する尊敬) 清鑒=自分の詩文などを人に示す場合、相手を尊敬していう語=という言葉が添えられている。 

 
象山余聞