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21 新村 出 〜広辞苑編者で京都象山会会長

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 岩波書店の「広辞苑」に「佐久間象山」の記述が出てくる。8行で説明してあり、初版の編者は京都象山会の会長を務めた言語学者の新村出(いずる)(1876〜1967)=写真(新村出記念財団提供)。


 広辞苑(6版)が説明する象山は次のとおり。

 「さくま しょうざん」【佐久間象山】(ショウザンは一説にゾウザンとも)幕末の思想家・兵学者。信州松代藩士。名は啓。通称、修理。象山は号。儒学を佐藤一斎に学び、また、蘭学・砲術に通じ、海防の急務を主張。1854(安政1)年、門人吉田松陰の密航企画に連座し、幽閉。のち許され、64(元治1)年幕命によって上洛、攘夷派の浪士に暗殺された。著「海防八策」「省●録(せいけんろく)」など。(1811〜64)。

●=侃かんむりに言


 象山を顕彰する「京都象山会」が、いつごろ発足し活動したのか、明確な資料はない。


 京都市にあり、松代藩の初代藩主・真田信之の菩提所として建立された「大法院」に残されている資料によると、「象山会ハ象山先生ノ墳墓ヲ保護シ其遺墨遺物等ヲ蒐集シ先生ノ功績ヲ永遠ニ発揚スルヲ目的トス」とある。

会員は象山亡き後、門人、学者、文人や政治家など広範囲に及ぶ。


 具体的な活動は▽毎年、忌日に大法院で祭典を行う▽先生の言行に関する種々の材料を得たる後、詳伝を編纂し、印刷する▽先生に関する各種の物品は墳墓参詣者の(希)望により縦覧する...など10項目に上っている。


 現在、京都象山会は有名無実の会だが、新村(山口県出身)が会長を務めていたころ、百周年忌の1964(昭和39)年当時は学者、文人が象山を敬慕していたことがうかがえる。同会発行の『佐久間象山先生』はB4判、140ページ足らずの本で、須坂市立図書館にある。


 序文で新村は「元治元年、徳川将軍、家茂の下に私の旧主、後の第15代将軍、慶喜は禁裡守護職(天皇を護る職)で在京中、象山先生を二条城、その城南の酒井若狭守の公邸に招致して時勢に対する意見を徴しもした。私が先生の不幸な事件で慶喜公に直侍していた亡父に対し感想、所見を尋ねる関係にあったのに」と悔やんでいる。

 
象山余聞