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京都22 小塩(おしお) 〜業平の恋の追憶〜

 〈あらすじ〉

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 京の男が西方にある大原野の桜見物に来ると、一人の老人が桜の枝をかざして楽しそうに歩いている。話し掛けると、老人は桜や景色を褒めたり、在原業平の和歌のことなどを語ったあと姿を消す。さては業平の仮の姿かと思っていると、果たして正装した業平の霊が現れる。昔の恋の遍歴を回想して舞を舞い、明け方に再び桜の中に消えて行く。

    ◇

 「雲林院(うりんいん)」と同じく、伊勢物語を題材とし、業平と桜、恋の追憶を描いた春の宵の物語である。


 老人が曲の中で口ずさんだ業平の和歌は


 大原や小塩の山も今日こそは 神代のことも思い出づらめ 


 清和天皇の二条の后(藤原高子)が、藤原家の氏神の大原野神社を参拝し、業平も伴をした時に詠んだ歌だ。老人は「神代にことよせて、業平がひそかに通じていた后への思いを詠んだものだ」と当人しか知らないことを打ち明けたのだった。


 謡曲には詩歌の引用が付きものだが、この曲は格別に多い。長野県の高校国語教師だった関谷一郎さんは18首を見つけ出し、「謡曲に引用された詩歌」で解説している。うち業平が后を思慕した歌の一部をあげると


 月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして

 (月も春も昔のまま何の変わりもない。私の身も昔のままなのに、あの人は別世界の人になってしまった)



 春日野の若紫の摺衣(すりころも)

しのぶの乱れ限り知らずも


 (春日野の若い紫草で染めた狩衣の、しのぶずりの模様が乱れているように、あなたをしのぶ私の心は限りなく乱れているよ)


 業平は后との「禁断の恋」が露見して、東下りの旅に出た。今も東京墨田区に残る業平橋は、足跡の一つと伝えられる。晩年は大原野で閑居し、56歳で没した。その小塩山の中腹にある十輪寺が住居跡とされ、別名「なりひら寺」といわれる。


 桜に囲まれた本堂は、1750(寛延3)年に再建され、屋根は神輿をかたどった珍しい造りだ。本堂裏の片隅に小さな石塔の業平の墓と塩竈跡がある。塩竈は交友のあった源融にならったもので、難波津(大阪)から海水を運び、塩を焼いて風流を楽しんだ。「小塩」の地名はこれに由来する。塩竈跡は壊れた破片を集め、コンクリートで固めてあった。


 業平は御所に向かって煙をたなびかせ、后への変わらぬ思いを伝えたという。后がそれを眺めて涙を流したかは定かでない。

(2012年7月21日号掲載)


=写真=十輪寺本堂裏の塩竈跡

 
謡跡めぐり