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23 自分を桜にたとえて 〜桜賦の詩碑

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 「有皇国之名華」(皇国の名華あり)から始まる佐久間象山作の「桜賦(さくらのふ)」の詩碑=写真=が、東京都北区王子の飛鳥山公園に立っている。1881(明治14)年に建碑を願い出たのは、門弟の北沢幹堂(正誠)と小松彰(松本藩士)の2人。


 759字の賦は象山一世の大作で、美辞麗句を駆使。孝明天皇の「乙夜(いつや)の覧」(天子の書見)を賜った象山は面目躍如だったとみられる。


 飛鳥山公園は8代将軍・徳川吉宗が享保の改革で造成。73(明治6)年の太政官布達により、上野、芝、浅草、深川と共に日本最初の公園に指定された。


 北区飛鳥山博物館によると、麹町区在住の北沢と西ケ原村在住の小松が建碑を願い出た。当時の文書によると、象山が非業の死を遂げて10数年たち、象山の理念も理解されるところとなったので、桜賦を記念碑として建設し、追慕の意を表したい、としている。


 かつて「御立場」(地主山、床几山)だった場所に2間半四方の敷地を確保し、そこに建立された。82(明治15)年4月10日付で「本日建設致し候」と、落成届が提出されている。徳川家の威力を示す場に開国を唱えた象山の詩碑を建てることは、新しい時代の幕開けを宣言する意味を持っていたのだろう。


 桜賦の詩碑は1965〜68(昭和40〜43)年に行われた石神井川の飛鳥山隧道建設工事に伴い、御立場跡から下がった現在地に移転された。その際、象山が暗殺時に着けていた血染めの「挿袋」(今でいうポシェット)の入った石室が、当時の王子工業高校考古クラブの手で碑の下から発見され、話題になった。


 「櫻賦は単に桜のことを詠ったのではない」と、飯島忠夫・文学博士が雑誌「信濃教育」(38年発行)で、次のように解説している。 自分を桜にたとえ、桜が日本特有の名花であるが如く、自分も日本に比類のない卓見を懐いており、外国の侵略には「攘夷」と言って騒ぎ立つべきではない。開国し外国の学術、技芸を取り入れ、日本の文化と軍備とを外国と同等以上に引き上げて外国の野心を鎮圧せねばならぬ。

 
象山余聞