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25 揮毫の年欺いて書く 〜9反の大幟

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 山ノ内町の佐野神社は毎年9月の第2土・日曜に開く例祭で、佐久間象山が揮毫した「大幟」を立てる=写真。幟の文字は象山が松代に蟄居中に書いたものだが、「嘉永癸丑=1853(嘉永6)年=秋社日」と2年近く欺いて書いてある。


 書は「歳功憑霈澤」「民衆受洪釐」。読みは「歳功は霈沢(はいたく)に憑(よ)り」「民衆は洪釐(こうり)を受く」。意味は「1年の収穫は大いなる雨と地の潤いによってなり、民衆はその神福をたくさん受ける」。これは佐野史編纂委員会の求めにより、徳正寺(高山村)の本多得爾・住職=元高校日本史教師、元県立歴史館専門主事=が解説したものだ。


 大幟についてはこんないわれがある。

 象山が蟄居となり、松代に移っていた1854(安政元) 年11月16日、佐野村内で寄り合いがあり、神社の幟が古くなったので取り換えを話し合った。


 渋温泉に出役中の松代藩の役人に相談したところ賛成が得られ、揮毫は象山に。55年3月5日、村役人と講の代表が象山宅に布を持参してお願いし、快諾を得た。


 ところが3月末になり、布は象山が考えているものより短すぎ、取り換えの要請があった。新しい布は指示通りの4丈3尺(約13メートル)に決定。講中の代表が江戸に赴き、布6反を購入し、象山に届けた。


 しかし、また「これでも不足」と象山からの連絡。再度、江戸で仕入れ、紺屋で仕立てて象山に届けた。そして6月11日に幟が完成。村役人と世話人代表が受け取りに参上した。


 9反の幟は、幅2・8メートル、長さ16・5メートル、竿の長さは22・8メートルにも。


 費用は布代に11両(1両は現在の約4万円)、筆墨料に7両、紺屋に1両6匁、旅費に1両2朱、その他の材料代、大工、石工の手間代などの雑費を含め計約40両(160万円)が投ぜられた。


 象山は蟄居の身でいながら、来客には面会するし、知人との書信は平気。これを知った幕府から「甚だ不都合」と松代藩の江戸藩邸にお達しがあった。そんな背景があったから、揮毫の年をさかのぼって書いたのであろう。

 
象山余聞