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27 寺瀬黙山 〜光太郎が「象山像」激賞

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 昔から"信州の三山"と呼ばれている「山」がある。佐久間象山(本名・修理)、彫刻家の荻原碌山(同・守衛)=現安曇野市出身、同じく寺瀬黙山(同・良平)=飯山市出身・写真上=だ。黙山は象山を崇拝しており、彼の象山像は出世作となった。


 黙山の3男・節夫さん(81)=中野市=によると、黙山は1893(明治26)年9月5日、飯山仏壇の元祖・寺瀬重高から15代目の甲府屋牛太郎の次男として誕生。飯山尋常高等小学校を卒業後2年間、実家で仏壇彫りの手伝いをする中で彫刻家を志す。


 1910年、16歳の春、奈良に赴く。叔父の寺瀬三楽の下で、本格的に彫刻を修業。古代美術品の宝庫とされる奈良で、推古朝以来の古仏像を研究すること10年。19年に彫刻家として自立するため上京。翌年、27歳の時、第7回院展に「律僧」(木彫)を出品。毎年のように作品を発表し、93年3月28日、99歳で他界した。


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 この間、皇紀2600(1940)年記念奉祝展で、高さ54センチの「象山先生像」(乾漆)が文部省の買い上げとなる。高村光太郎は、この象山像を「出品作は全部駄目。ただ独り、信州出身の寺瀬黙山作『象山像』だけは、全ての作品を圧して断然光っている」と激賞している。


 高さ18センチの象山像(乾漆)=写真下=は幾つも制作されたらしく、信濃教育会も所蔵している。


 「当時、象山像の値段は120円した」(節夫さん)。現在の価格に換算すると、120万円ほどの見当か。


 葛飾北斎の天井絵で知られる小布施町の岩松院は寺瀬家の菩提寺。黙山の次男で工学博士の斉さん=名古屋市=が2002年、引き継いだ黙山の象山像、良寛像、一茶像...など10点を寄贈。空調設備完備の展示室で天井画と併せて公開している。


 1985年には、中野市に「象山先生像」(乾漆彩色)など10点を寄贈している。黙山は象山や一茶、飯山市の正受庵主・恵端ら北信地方の偉人を中心に多くの像を残している。

 
象山余聞