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30 「象山が来たぞー」の合図 〜冬の湯田中の町並み

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 「ドン、ドーン、ドドーン...」。志賀高原への入り口、山ノ内町渋と湯田中の湯の町に鳴り響く太鼓の音。風紀を厳しく取り締まる象山は、地元にはうるさい存在で、彼が現れると「象山が来たぞー」と、太鼓で合図したという。


 象山38歳の1848(嘉永元)年の夏、松代藩主は沓野、湯田中、佐野の「三カ村利用掛」に任命。志賀高原一帯の殖産振興のために実地踏査を敢行し、まとめたのが象山の『沓野日記』だ。


 沓野山(志賀高原)開発の意見書は先見的でもあったが、藩利優先に重点を置き、民利を軽視。地元の負担加重策をも打ち出し、結果的には「沓野騒動」を誘発してせっかくの計画が画餅に帰したのは惜しい(「和合会」が発行した『沓野日記』で、徳川林政史研究所の所三男所長の記述)。


 もう一つ、志賀高原の開発に力を尽くした元長電観光(株)社長の宮沢憲衛が残した随筆集『「クマ」の生きる道』(1954年発行)には次のような項目が載っている。


 一、渋湯村昨年来、売女召抱候者有之由に候、速に停めさせ申度事。

 一、安代田中村(湯田中)にても両年限りに売女厳禁有御座度事(象山は8条の取締禁令を出している)。


 「湯田中温泉に限り遊郭があったが、現在は禁止。象山先生のこの土地厚生の意見と旅行者の多数入り込みある今日、この卓見は今後、研究の余地あり」と宮沢は書いている。


 象山は男女の問題を取り締まるのに厳し過ぎ、彼の姿が湯の町に現れると、地元は合図の太鼓をたたき、"摘発"されないようにしていたことがうかがえる。


 昭和60年代に中野警察署に勤務した人によると、うるさいことを言って取り締まる象山は湯田中では嫌われ者で、"湯女(ゆめ)追い太鼓"を鳴らして警戒していた話を聞いたという。


 1958(昭和33)年に施行された「売春防止法」。象山は既に150年も前に実施しており、先見の明があったというべきだろう。

 
象山余聞