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32 旭城(平柴) 〜旭山の東小峰に築城 歴史の中に埋もれて〜

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 県庁通りから見ると、円すい状に裾野を伸ばした旭山の山頂に、甲越で取り合った旭山城跡がある。旭城はこの旭山東斜面の中腹の小峰に築城したもので、市街地からも確認できる。


 登路は平柴の阿弥陀寺からのコースと、少々不明瞭であるが、小柴見の5差路から勝手沢に沿って上がっていく2コースがある。


 城跡の本丸には左近稲荷社があるので登山者の目標になる。斜面の最上にある数軒の家屋から農道が城跡まで通じており、城跡真下の羊の放牧地から山頂を目指す。


 人恋しさか、羊の鳴き声がいつまでも山中に響き渡った。

 本丸は20×30メートル程度の平地で、北側に左近稲荷の社殿が立つ。


 本丸の北方には一条の大堀切が東西に延び、続いて二の郭、さらに数個の郭で本郭を防備している。二の郭の中央には古墳が見られるが、たまたま城域の中に入ったものであろう。


 日常、旭山を見る機会はたびたびあるが、中腹にこのような段丘があり、そこに城跡があるなどとは想像もつかなかった。


 築城時の詳細は不明であるが、南北朝時代に平柴にあった守護所を村上、小笠原、高梨、長沼などの国人が攻めたという記述が見られる。おそらく小柴見城あるいは旭山関連の山城が守護所の詰城となっており、戦場となったと推定されるので南北朝以前の築城と考えられる。


 また、1446(文安3)年、小笠原氏の相続争いがあり、漆田(現在の中御所周辺)と旭城が戦場になったという。戦国期には平柴に居館があった朝日右近の持ち城と推定されるが、旭山城をめぐって甲越で取り合った合戦では、支城的役割を果たした旭城も争乱の対象となったであろう。


 旭城は特記される事跡もなく、歴史の中で埋もれてきた山城であるが、いくたびか戦場になり、信濃の歴史に関わったことを思えばもっと注目されてよい山城ではないだろうか。

(2012年7月28日号掲載)


=写真=樹林の中の旭城跡

 
続・山城紀行