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32 弟子・春日温斎 〜象山を敬慕 霊祠造る

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 坂城町の春日みち子さんが管理する自宅近くの"小公園"には象山に関する資料がいっぱいある。みち子さんの先祖で、象山の弟子だった寺子屋の師匠・春日温斎=写真上=は象山の訃報を聞き、京都にはせ参じて遺髪をもらい受け、「象山霊祠」=同下=を造営、顕彰している。


 長野市小田切から嫁いだみち子さんによると、「象山先生(当時は修理)はよく、馬に乗って坂城の家に寄った」。そのころ象山は17〜18歳で、地蔵峠越えで松代から7〜8里(約30キロ)の距離にある上田城南に隠居中の活文禅師の下で学び、その中継地として立ち寄り、師弟の歓談を交わしたという。


 温斎は1810(文化7)年10月生まれ。幼少時の名は八百吉。後に屈子信、温斎と呼ばれ、春日家の第4代。農業に忙しく働き、成年期は立町の寺子屋、児玉正彦(後の埴鳳岳)にも学んだ。


 象山は心から信頼する人の紹介がなければ会おうとはしなかったといわれる。児玉と象山は松代藩儒・林単山の塾で学んだ仲。児玉は象山の一つ先輩で大変仲がよく、「莫逆の友」(意気投合して極めて親密な間柄)。温斎は児玉を通じて象山に紹介され、師事するきっかけにもなった。


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 温斎は象山から(1)意志を固く持ち、事に当たっては真剣で、徹底的に追求し、中途半端に終わらせない(2)人には迎合せず、是は是、非は非とする態度を堅持する(3)自分には厳しく、人には寛大にせよ-と教わった。


 温斎の象山を敬慕する思いはやみ難く、象山没後は象山先生霊祠を造り、遺髪や遺品をもらい受けて手厚く供養した。さらに1886(明治19)年、温斎77歳の年に象山の頌徳碑を建立して師の恩に報いた。


 象山霊祠の裏側には象山をしのんで、「山階宮二品晃親王(やましなのみやにほんあきらしんのう)」の和歌も刻まれている。


 浅間山 けふりと消えしその人の 名こそ雲井に たちのぼりけれ

 
象山余聞