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33 茶室・煙雨亭 〜松代高教師が看板書く

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 「『雲の上人(うえびと)』に突然、校長室に呼び出されてビックリしたよ」

 郷土民話研究家で元高校教師の青木貞元さん(78)=松代町在住=は、昨年10月に行われた中条地区の第1回「学び舎」で、30数年前の思い出を語った。


 中条公民館が「真田十万石の城下町、松代の歴史と文化を知ろう」と計画。20人がマイクロバスで研修、視察した際、案内役を買って出たのが青木さん。


 一行は松代城跡を皮切りに真田宝物館、象山記念館などを見学し、青木さんは象山神社境内にある茶室「煙雨亭」=写真=で矢沢頼忠さんとの出会いを話した。


 青木さんは松代高校の国語教師時代、校長室に呼びつけられた。「何だろう?」とドキドキして入ると、初対面の矢沢さんが板を出して「明日までに『煙雨亭』と書いて来い!」。


 矢沢さんは林野庁の事業部長や経営部長を歴任。先祖は松代藩の家老で、まさに「雲の上人」。青木さんは「清雲」の雅号を持つ書道の先生。今でも70〜80人に書を教えているが、それ以来、発奮。「今の私があるのは矢沢さんのおかげ」と言う。


 象山は晩年、京都・三条木屋町の鴨川べりの一戸建てに移った。永住するつもりの家は間数が16、階下の間取りも申し分なく、2階は8畳2間、6畳が3間もあり、茶室まで備わっていて眺めが抜群だった。

蛙鳴く 加茂の川瀬の 風こえて 月かげゆらぐ 夜半の涼しさ

 妻のお順に贈った象山の一首だ。


 「雨に煙る情緒豊かな風情を愛で、煙雨楼と名付けた。象山先生が7月11日、頑迷な攘夷論者のために非業の最期を遂げられるまで僅か2カ月の住居。


 この茶室は煙雨楼内の茶室で、昭和40年ごろ、解体の折、京都象山会の高岡謙次氏が譲り受けて保管。56年に寄贈して頂き、先生の往時を偲び、後世に伝えるため、『煙雨亭』と名付けて、ゆかりの地に移築した」と長野市教育委員会設置の説明板に書かれている。

 
象山余聞