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49 龍洞院と遺品 〜斬殺時所持の煙草入れ〜

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 上田市蒼久保の曹洞宗「龍洞院」は佐久間象山ゆかりの寺院である。昨年3月末に同院を訪ね、村上博優(むらかみひろまさ)住職(87)=写真左=に拝顔、象山の遺品や遺墨を見せてもらった。


 同院には、象山、赤松小三郎(=上田藩士蘆田(あしだ)勘兵衛の次男。象山の紹介で勝海舟の門弟となり、長崎の海軍伝習所で学び、英国兵術を身に付ける。京都で私塾を開いた後薩摩藩に招かれ、門人に日露戦争でバルチック艦隊を全滅させた東郷平八郎がいたが、象山の横死から3年後に暗殺された)ら著名人を育てた活文(かつもん)禅師が45歳の時、13世住職として迎えられた。


 禅師は約6年間ここで過ごしており、自作の木像など残した遺墨、遺品類が「活文禅師遺跡」として上田市の市指定文化財にされている。


 事前に連絡しておいたため、龍洞院では部屋のふすま、壁面に象山が作った漢詩類を幾つも飾ってあった。例えば「活文禅師門下三山(佐久間象山、高井鴻山、山寺常山)筆蹟」の漢詩、短歌などだ。


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 鴻山(1806〜83)は小布施の豪農商で慈善家。常山(1807〜78)は松代藩士の儒者。47(弘化4)年に発生した善光寺大地震では日夜、施しや恵みを避難民に行い、感謝された。


 それらの作品群に見とれていると、村上住職は「いい物を見せましょう」と言って奥の部屋から、大事そうに風呂敷に包んだ品物を持って来た。包みを開くと、 桐箱には次のように書かれていた。


  「佐久間象山遺品 伝 於京都三条小橋 被 斬殺之時所持品」=同右。初めて新聞に"公開"する一品とかで、煙草入れという。

 革製で、「尊王開国」を主張する象山が一休みする際、刻み煙草でも一服、吸ったものだろう。「どのような経緯で、龍洞院にあるのか」を問うたが、村上住職もそれは分からないという。

(2012年7月21日号掲載)

 
象山余聞