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東北5県01 錦木(にしきぎ)〜「塚祭り」今も

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 謡曲史跡保存会(本部・京都市)の謡跡巡りに参加した。5月11日から3日間、青森、秋田、岩手、宮城、福島の東北5県の謡曲史跡を高速道を利用して駆け巡った。短い日程でのスピード見学だったが、東北らしい伝説に満ちた史跡に触れたり、あちこちで北国の遅い桜を眺めたりで、有意義な旅だった。


 〈あらすじ〉 旅の僧が陸奥の狭布の里で、鳥の羽で作った細布を持った女と、錦木を持った男と出会う。この土地には男が見初めた女の家の前に錦木を立て、女が気に入るとそれを取り入れ、気に入らないと放置する習わしがある。2人は、僧に「3年間錦木を立てたが入れられず、死んでしまった男の塚がある」と教えて塚の陰に隠れる。僧が読経していると、再び先の2人が現れ、弔いによって妄執から覚めたと感謝する。そして塚が女の家に変わり、男は錦木を持って訪れ、女はそれを無視して細布を織り続けるありさまを見せる。僧が眠りから覚めると、原野の中に塚だけがぽつんと残っていた。


 謡曲「錦木」の舞台は秋田県鹿角市の錦木。十和田湖の南に広がる田園地帯で、昔はこの辺り一帯を狭布(きょう)の里と呼んでいた。謡曲はこの里の伝説から取材したもので、伝説を要約すると次のようだ。


 1550年ほど前、この地方を治める郡司の娘で、政子という機織りの上手な姫がいた。「狭布の細布」という織物を織り、朝廷への貢物にしていた。この姫に2里(約8キロ)余り離れた農家の若者が見初め、習わしによって毎夜、政子の家の前に錦木の束(錦木、桜、もみじを3、4本束ねた物)を立てた。が、父親の反対もあって受け入れられず、九百九十九夜に病で死んでしまう。政子もふびんに思ったのか、後を追うようにこの世を去る。父親はようやく哀れに思い、2人の亡きがらを錦木、細布と一緒に埋め、錦木塚として厚く葬った。村人たちもこの世で添えなかった2人があの世で幸せになるようにと、イチョウと杉の木を植えて供養した。


 錦木塚は、JR花輪線の十和田南駅で下車して徒歩2、3分。東北自動車道では十和田ICで下車。国道の向かい側にある稲荷神社の境内にある。境内一帯が公園として整備されており、その奥まった片隅に柵に囲われてあった。風化しかけて何の変哲もない子牛くらいの置き石だ(写真)。ここに大昔の悲恋が秘められているとは、想像もつかなかった。傍らに村人が植えたという杉の大木がそびえていたが、イチョウは倒壊してしまい、切り株と案内板だけが残っていた。「2人が幸せになるように」との村人たちの願いは受け継がれ、今も8月7日には「錦木塚祭り」が盛大に開かれているという。


 それにしても、片道2里もの道を千夜も通い続けるとは大変だ。謡曲「通小町」では、歴史的な美女の小野小町に、深草の少将が恋慕して自宅に通い続ける。それでも百夜通いで、九十九夜で倒れた。それに比べて錦木の若者は粘り強いというか、何とも痛ましい。毎夜落胆して涙を流して帰ったといい、謡曲にも出てくるその涙川が、公園のほとりに細々と流れている。


 錦木塚をうたった和歌は、伝説が古いだけに古歌に数多く、「狭布の里」は陸奥の歌枕にもなっている。近年では明治の詩人・石川啄木がなぜか深く心を寄せている。処女詩集「あこがれ」に「錦木塚」という詩を掲載し、「鹿角の国を想う詩」と題した長い詩も書いている。当時はイチョウはまだ健在だったのだろう。「いまもなお錦木塚の大銀杏 月よき夜なは夜なよなに」という短歌も残している。錦木の悲しい恋物語と、薄幸だった啄木の生涯を重ね合わせると、なにか共通点があるようで、やり切れない思いが倍加してくる。


(2006年8月19日号掲載)



 
謡跡めぐり