
夏目市政の課題は大合併に対応した関連公共施設の建設と整備であった。
若松町の旧市役所庁舎は1898(明治31)年の建築で、老朽化が激しく雨漏りや壁落ちが目立つようになっていた。
1950(昭和25)年に改築したが、54年の10カ村合併や社会生活の多様化によって事務量が大幅に増えたため手狭となり、増築や他の建物への一部移転でしのいできた。しかし「たこ足庁舎」では能率が悪く、利用者にとっても不都合な点が多かったため、移転新築の要望が強かった。
市は59年に市庁舎建築委員会を設置して検討した結果、新市庁舎は市民会館建設に続いて64年4月に着工、翌65年10月落成式を行った。将来の人口増を見越し、人口30万人を想定して設計。鉄筋コンクリート、地下1階、地上8階、一部11階建ての近代的庁舎であった。総工費6億円。
1、2階をサービスセンター的構造にして、戸籍、住民登録、水道、葬祭などの事務は全て1階で処理できるようにし、市民ホール、売店、保健室、医務室などを設け、利用者の便が図られた。また、岡田町にバスターミナルができると市民連絡室を置いて、住民サービスの充実を図った。
市役所、市民会館の移転新築によって、市の行政の中心は緑町へ移った。昭和通りも60年には市役所前まで拡幅延長されており、周辺一帯はデパート、銀行なども含めてビルラッシュに。商業の中心も大門町や後町から次第に昭和通り方面へ移っていった。
城山公園南側の高台には、南に城山館、北に蔵春閣と二つの建物が並んで立っており、明治以来市の公会堂として市民に親しまれてきた。だが、49年に焼失した後は、博覧会場として建てられた一部の建物が残されたものの本格的再建はなされないままであった。
城山館として再建される前の長野観光館は、種々論議を呼びつつ54年4月に開館した。鉄筋コンクリート3階建て総ガラス張りで、大ホール、食堂、喫茶室などを備えた。城山の南端という好位置にあって眺望も良く、市街地からもよく見え、観光長野市のシンボルとなった。結婚式や披露宴のほか、花見や夏の納涼にも利用された。
城山館に続いて66年には、市制70周年記念事業として蔵春閣の再建が決まり、2カ年継続事業で建設された。
(2012年8月11日号掲載)
=写真=緑町に建築中の市役所本庁舎