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04 〜相次ぎ永久橋に架け替え〜

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 千曲川・犀川の合流部に架かる落合橋とその下流の屋島橋は、長野市街地と若穂地区、須坂市を結ぶ動脈である。以前はいずれも木橋で、洪水のたびに流失・架け替えを繰り返していた。


 最初はそれぞれに永久橋化期成同盟会を結成して運動を続けていたが、2本の橋の間が約3キロと短く、国の意向も両橋の永久橋化は難しいと伝えられたため、中間に1本の橋を新設しようとする意見も出た。


 しかし、県道長野菅平線の存続を目指す大豆島・保科・川田の3カ村が強力に従来路線への橋の建設を主張し、それぞれの永久橋の運動が続けられた。


 新落合橋の建設工事は倉島市政の1962(昭和37)年に始まり、夏目市政の66年に竣工した。長さ948メートル余。洪水に備えて橋げたが高く耐震性の強い鋼板橋で、当時は県内最長の橋であった。この架橋は若穂地区の長野市への合併の有力な要因となった。次いで屋島橋も70年に永久橋となった。


 真島と大豆島を結ぶ長野大橋は、国道18号の丹波島橋の渋滞を緩和するために新しく架けられた。丹波島橋の自動車の交通量は65年6月の調査で、すでに1万3788台と許容量の3倍を超えていた。これは53年調査の15倍に当たり、ラッシュ時の渋滞は30分にも及んでいた。


 長野大橋の架橋工事は67年9月に起工し、69年11月に完成した。長さ500メートル、中央分離帯を持ち、西側に2.5メートル幅の歩道を付けた。4車線の橋は関東甲信越管内では初めてであった。総工費19億円。内訳は橋12億、取付道路7億円であった。


 長野大橋の開通によって、自動車の流れは大きく変わり、丹波島の渋滞はかなり緩和された。また、これによって篠ノ井橋と長野大橋を結ぶ国道18号バイパス工事が促進された。


 このほか、千曲川に架かる赤坂橋は55年に本流部分が永久橋化され、岩野橋、関崎橋、更埴橋は永久橋化の工事が72年に完成した。いずれも従来の木橋の永久橋化工事で、それまでは定期バスの乗客も安全のために、バスから降りて歩いて渡るところが多かった。また、犀川に架かる小市橋は61年に流失したものが66年に竣工し、市内の主な橋はすべて永久橋となった。(『長野市誌第七巻歴史編 現代』による)

(2012年8月25日号掲載)


=写真=建設中の長野大橋