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141 浄興寺 〜威光放つ高田城寺町の大寺〜

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 「花の季節が過ぎて寂しい...」と嘆く花追い人には、上越市高田城跡のハスの花をおすすめしたい=写真下。広大な堀を緑の葉とピンクの花が埋め尽くす光景は見事だ。長野から高速道経由で2時間弱。今は人出がまばらなのも、うれしい。


 粋な花見をした後は寺町巡りへ。城下町には防備の役を担う寺町が必須だが、高田の寺町はなんと63もの寺院が二重に並び、壮大な街区を構成している。


 キーポイントはJR高田駅西裏の浄興寺。寺町の中心的な大寺で、正門から入ると左右に6カ寺を置く広大な境内に驚く。浄土真宗浄興寺派本山の威光だ。


 そして重要文化財の本堂=同上=と、裏の「親鸞廟」が見ものだ。日光東照宮の彫刻を思わせる精巧・緻密な木彫で飾られている。


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 高田城は徳川家康の6男・忠輝が君臨した60万石。徳川が警戒したのは加賀100万石の前田氏の東進だった。米沢の上杉氏も牽制し、佐渡産出の金運搬ルートの監視塔役を固めた。後に移封された榊原氏は15万石で幕末まで130年間領知した。松代の真田氏10万石、松本の戸田氏6万石とは格が違う。


 加えて上越は親鸞聖人流刑の地だから、信者の熱心なことは全国でも類がない。お寺さんの半数は浄土真宗だ。親鸞聖人の遺骨を納めた廟の建立は意外に新しく、柏崎の名棟梁・篠田宗吉の作で7年がかり、1888(明治21)年の完成だ。


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 「信州の寺社彫刻・宮大工は立川流一門が有名ですが、こちらでは『越後のミケランジェロ』と呼ばれる石川雲蝶の系統が有名です。雲蝶は長岡、魚沼、三条の寺院を中心に活躍した江戸雑司ケ谷生まれの天才。その寺社彫刻は重厚かつ精緻で近年は"雲蝶ツアー"が人気」と新潟県立歴史博物館。今ブレイクしている江戸時代の京の絵師・伊東若冲並みの人気作家になるらしい。


 雲蝶(1815〜83)一派と篠田宗吉の師弟関係は不明だが、大きな影響を受けたと推測されている。雲蝶の菩提寺が火災に遭い、資料がないのも不明の理由だ。雲蝶作品は新潟県内に1000点以上残っていて、江戸末期から明治中期まで、篠田と同時代に生きた。


 これからは海水浴などの帰りに高田町裏を散策し、越後の歴史と文化の奥深さを探るのも興味深い。


 
足もと歴史散歩