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京都24 雷電 〜菅公が雷神に〜

 〈あらすじ〉

 延暦寺の法性坊僧正のところに、弟子だった菅公(菅原道真)の霊が現れ、「我を陥れた者を蹴殺そうと思っているので、助けに来ないでほしい」と頼む。法性坊は「宮廷に仕える身、三度請われれば断れない」と言う。霊は怒って鬼になり、本尊に供えたザクロをかむ。すると火焔となって燃え上がり、煙の中に消える。宮廷に参上した法性坊の前に、菅公の雷神が現れる。宮廷中を暴れ回ったが、法性坊に祈られ、おとなしく立ち去る。

      ◇

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 「雷電」といえば、信州人は東御市生まれの大関・雷電為右衛門を思い浮かべる。この曲は太平記や北野縁起に載っている、菅公が雷神となった物語だ。


 菅公は学者の家系に生まれ、文才に優れていたことから順調に出世し、醍醐天皇の時、若くして右大臣に上り詰めた。これがねたまれ、藤原時平の讒言(ざんげん)で九州の太宰府に左遷され、2年後の903(延喜3)年に他界した。


 以来、都では奇怪な事件が相次いだ。日照りや疫病が発生し、讒言した時平が急死した。人々はすべて菅公のたたりとして恐れた。


 その極め付きは宮廷の落雷事件。紫宸殿に雷が落ちて多くの死傷者が出た上、天皇も体調を崩され、数カ月後に亡くなった。これが菅公の雷神説となって巷に広がった。朝廷はその霊を鎮めるため官位を復活させ、巫女の多治比文子(たじひあやこ)(少女説もあり)に宣託があって、947(天暦元)年右近の馬場に菅公を祀る社殿を建てた。これが北野天満宮である。


 水火天満宮は謡曲で登場する、菅公を雷神として祀った神社だ。天皇の勅願で北野より20年ほど早く建てられた。法性坊の屋敷跡といわれ、上京区の堀川通りにある。鳥居前には「日本最初 水火天満宮」と刻んだ石碑があり、全国で最初に建てられた天満宮であることを誇っている。


 境内には「登天石」というりんご箱くらいの石がある。法性坊が勅命で宮中に急ぐ途中、鴨川が増水し渡れなくなった。慌てず祈ると、石の上に菅公が現れ、やがて昇天して水位が下がった、という伝説の石だ。ほかに「出世石」や「金龍水」という湧水があった。


 水難、火難はじめ厄よけの神として地元の信仰はあついが、「学問の神」として受験生や修学旅行生でにぎわう北野天満宮に比べると静かだ。だが、境内には2本の紅しだれ桜の大木があり、満開時にその下に立つと、雷光の花びらを浴びたようだという。京都の「桜の隠れ名所」の一つとなっている。

(2012年8月25日号掲載)


=写真=水火天満宮の境内

 
謡跡めぐり