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33 横田城(篠ノ井) 〜善光寺平の入り口に 市内最古の城跡か〜

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 好天に恵まれたので、かねてよりリストアップしていた横田城跡を目指す。篠ノ井横田で城跡の所在を聞き、早合点していたことに気付き引き返す。


 国道18号の会交差点から左折すると会地区であるが、集落内は狭い道幅が迷路のように縦横に延びている。聞き込みをしながら、ようやく城跡にたどり着くことができた。城跡は本丸の一部であった北西隅の土塁が唯一の遺構であるが、現在は古殿稲荷社が祭られている。


 城跡の由来によると、社を中心に55メートル四方が内城で殿屋敷といわれ、昭和初期ころは一部に堀跡の遺構が見られたという。


 築城は平安時代で、市内に存在する城跡では最も古いと思われる。南北180メートル、東西230メートルの規模があり、外堀で囲まれた内側には屋敷割りがあった。


 篠ノ井地区の平野部に築かれた平城であるが、本丸を囲む堀や宮内、古町などの周囲にも水堀を巡らし防護していた環濠(かんごう)集落の遺跡として貴重である-と書かれている。平安末期には木曽義仲が横田河原で越後の城軍と戦ったとき、同城を使用し、城軍に勝利して京を目指したという。


 室町時代の1400(応永7)年に勃発した信濃守護小笠原氏と村上氏ら信濃国人が戦った大塔合戦では、小笠原軍がこの城にこもったという記述がある。


 その後、戦国期の川中島合戦のときは、武田軍の原大隅守(おおすみのかみ)が同城に入ったという。時代の節目に勃発した数々の戦いに使用された同城は、東信地方から善光寺平への入り口に当たり、きわめて重要な位置関係にあった。現在は会集落の家屋が連なる居住地域と化したが、現状からこの地に広大な城跡があったとは想像すらできない。


 長い年月の変遷の中でわずか角櫓(すみやぐら)の一角のみが伝承されてきた城跡であるが、土塁上にはケヤキの大木が数本残り、残された城跡を包み込むように枝葉を広げている。


=写真=本丸跡にある古殿稲荷社


 
続・山城紀行