記事カテゴリ:

37 お順の手紙 〜本陣・大日方家の古文書の中に

zozan37.jpg

 「『更田(ふけた)文書』にある佐久間象山の正室『お順』の手紙=写真=を出したから、見においでよ」。1月6日朝、小川村高府の農業機器販売店主、大日方辰夫さん(73)から筆者に電話があった。


 昨年7月22日号のこの欄(象山余聞(22))で、「象山夫人・お順」を扱った後、大日方さんから「本家、更田の大日方家から預かっているお順の書状と筆跡を比較して見たらどうか」と言われていた。


 見せられたお順の手紙は1通。宛先は不明で、次のような内容だ。数年前、県立歴史館資料調査委員の関保男さんに解読してもらった。


 返すがえすも随分御機嫌良く御年迎えさせ候よう祈りまいらせ候。此方皆々宜しく申し上げたく申し付けまいらせ候。かしく。


 最早、年も余れる日数無(のう)成りまいらせ候。 弥(いよいよ)御機嫌よく(折り目で判読不能)存じ上げまいらせ候。


 此の品々文味として御歳暮の御祝儀祝い迄まいらせ候。もはや年の内に御便りも□□□まいらせ候わんと存じまいらせ候。

 随分随分御お(判読不能)ひめでたくお年重ね、春なこふゆる々との御見待ち上げまいらせ候。

 御家内皆々様方へふミほと□よろしく御伝え願い上げまいらせ候。

めでたくかしく

 巳十二月 佐久間


 【注】▽文味=意味不明▽春なこふ=春永(春になって日が永くなること)▽御見=ごげん。お会いすること。


 「当時の典型的な手紙で、味も素っ気もない文章」と関さん。


 更田文書は大日方家に代々伝わる古文書。甲斐の名将、武田信玄の書状もある。象山を寵愛した松代藩主、真田幸貫公も小川を国境視察に訪れ、その際の本陣が大日方家だった。


 1847(弘化4)年3月24日夜起きた善光寺大地震では、大日方家も甚大な被害に遭った。裏山が抜け落ち、家屋、人畜が埋まり、古文書類も一式泥の中に。滅失書類は数知れず、信玄公の書状、お順の手紙などが無事に残っているのは奇跡に近い。

(2012年2月11日掲載)

 
象山余聞