記事カテゴリ:

06 〜積極的に児童館を設置〜

74-kyoudoshi-0922p.jpg

 長野市は夏目市政時代を皮切りに児童福祉法の精神に基づいて、高度経済成長期の昭和40年代に各方面の要請を受けて、「かぎっ子」(留守家庭児童)の急増に伴う児童の健全育成対策として児童館の設立に乗り出した。児童館には幼児型児童館(3〜5歳)と学童型児童館(小学1〜5年生)がある。


 長野市では、30人以上の収容人員を持つ学童型児童館である児童センターの設置を進め、現在ではこれが全児童館の約8割を占めている。


 長野市における児童館の設立は、幼児型児童館から始められた。それ以前は、各地区の公民館・社寺などを利用しての季節保育所がその役割を担っていたが、時代の変化に伴い公私立の通年制認可保育所へと変わっていった。しかし、要保育の該当児童が少なくて保育所設置の要件を満たせない山間地や、保育所設置を待ちきれない地域は、保育所に代わる施設を市に要請した。そこで市は法律に照らして幼児型児童館を設置した。


 長野市における最初の幼児型児童館は、夏目市政下の1965(昭和40)年4月1日に設置された小田切児童館(96年度閉館)であった。以後、73年度までに川合新田、芋井、浅川、古牧、影山、大豆島、北郷の7カ所に幼児型児童館が開設された。


 幼児型児童館はその後、公私立保育所・幼稚園の普及と充足に伴い「その建設は望ましくない」という国の指導もあって、長野市でも74年以降は増設されず、順次、幼児型児童館から学童型児童館へと機能の転換が図られた。


 一方、昭和40年代後半から家庭や社会の変化により、母子・父子家庭に加えて、夫婦共働きによる「かぎっ子」が急増した。


 このため、地域の育成会などの児童関係団体は児童の非行防止と健全育成を目的として、「かぎっ子」の集まりである学童クラブを組織して活動を開始した。その活動の場所として、地域の公民館・集会所などが使用されたが、児童数が多くなり活動が盛んになるにつれて手狭になり、独立した児童館の必要性が叫ばれるようになった。


 そこで、各地域から小学生を対象にした児童館設置の要請があり、国・県の補助を受けて児童館の設置が進められた。

(2012年9月22日号掲載)


=写真=各地に設置された児童館