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012 ドイツ アルテピナコテーク 〜デューラー渾身の宗教画〜

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 アルブレヒト・デューラーは"北方ルネッサンスの巨人"と称せられる、ドイツを代表する画家だ。「古い絵画館」を意味するミュンヘンのアルテピナコテークの至宝は数々ある。私に強烈なインパクトを与えたのは、三つの作品だ。


 一つは、アルトドルファーによる「アレクサンドロス大王の戦い」。縦158センチ、横120センチの大型の板と羊皮紙に何人の兵士が描かれているのか、ただただ呆気にとられた。


 次の2点は共にデューラーの作品。まず28歳の「自画像」=写真右。ルーブル美術館に22歳の時の自画像がある。イタリアの旅先から父に宛てた手紙と共に送られてきた。「私のことは天の定められたままに」と書かれ、若き野心とエネルギーを秘めた表情だ。


 28歳の作品は、理想とのギャップに悩むデューラーが再びイタリアへ旅してダ・ビンチやラファエロの作品に触れ、帰国後に悟ったかのように描いた自画像だ。当時の故国では画家の地位が低く、意識革命を起こそうという決意がみなぎる表情をしている。


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 頭と両肩を結ぶと正三角形になる手法は、当時はキリストを描く際に用いられていた。自らがドイツ絵画のメシア(救世主)にならんとした強い意思表示でもあった。イタリアで磨いた感性を秘めた自信作で、幾何学的な構成を駆使している。この作品でデューラーは確固たる地位を築いた。


 だが、この美術館で際立っていたのは「四人の使徒」=写真左。キリスト教の使徒4人の内面を余すところなく表現している。もともと本の木版挿絵から出発して後年の銅版画の代表作「メランコリア」などで、評価の低かった版画の名声を一挙に高めた。


 彼が50歳前のころ、ドイツはカトリックとプロテスタントとの血生臭い宗教戦争に明け暮れていた。彼のいた南部ドイツは今でもカトリック支配が強いが、残虐な殺害の光景を幾たびも目にした彼は、不自由になりかけていた手で絵筆を執って「四人の使徒」を1526年、57歳の時に描いた。4人の使徒は、左からヨハネ、ペテロ、マルコ、パウロ。彼らの内面性を描き込んだデューラー渾身の大作だ。


 彼が大きな影響を受けたルネッサンスの考えがある。ヒポクラテスの体液説だ。人の気質を4つの型に分類する。多血質(楽天的で快活だが激しやすい)、粘液質(活気には欠けるがクールで勤勉)、憂鬱質(誇大妄想タイプで心配性)、胆汁質(激しやすい上に怒りっぽい)。


 この特質を踏まえて4人の使徒を描いたという。多血質は、キリスト磔刑後の聖母マリアの世話をして『黙示録』を書いたヨハネ(本名シモン)。"岩"を意味するペテロと名付けられ、神の代理人として天国の鍵をいつも持っているペテロは粘液質の人。憂鬱質は福音書の記録者で激情するマルコの表情に見える。胆汁質は、皇帝ネロの迫害で斬首されたパウロだ。


 デューラーは作品の銘文で「この危機の時代における全ての地上の統治者たちは、人間の惑わしを神の言葉ととらないように注意せよ」と記している。 

(2012年9月22日号掲載) 



 
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