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京都25 車僧(くるまぞう) 〜太秦に影堂〜

〈あらすじ〉

 いつも破れ車を乗り回しているので「車僧」と呼ばれている僧が、嵯峨野の雪景色を眺めていると、一人の山伏が禅問答を仕掛けてくる。ところが、車僧に軽くあしらわれて勝負にならず、山伏は「愛宕山の太郎坊」と名乗って黒雲に乗って去る。しばらくして天狗となって現れ、わざ比べを挑んできた。が、車僧が払子一振りで、牛も人も引かない車を自在に駆使する法力に驚き、恐れ入って退散する。

        ◇

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 この曲の出典ははっきりしていないが、江戸中期の百科事典といわれる『和漢三才図絵』によると、車僧は実在した僧で、深山和尚正虎といい、洛外の太秦南市川村の海生寺に住んだ。700年前のことを語るので「七百歳」とも呼ばれた。南禅寺で禅を学び、一時は山科にも草庵を結んだとある。


 海生寺は廃寺となり、今は「海正寺」という町名だけ残っている。その寺の跡地である右京区太秦海正寺にあるのが車僧影堂だ。


 ところで「太秦」を「うずまさ」と読めるのは、京都人以外にそう多くない。一度覚えても忘れてしまう。地名の由来は、朝鮮半島から渡来した豪族の秦氏が、ヤマト政権に税として絹をうず高く積んだので「うずまさ」の姓が与えられ、これに漢字を当てはめた。その秦氏がこの地に住み着いたというのが定説のようだ。京都最古の寺である広隆寺は、秦氏の創設といわれる。


 車僧影堂へは京福電鉄(嵐電)の太秦広隆寺駅で下車。南へしばらく歩くと、東側に「車僧影堂」と刻んだ小さな石碑がある。矢印に従って進むと、空き地の真ん中にぽつんと立っていた=写真上。寺社につき物の樹木や石塔の類いがなく、正面に謡曲史跡保存会の駒札が1本立っているだけだ。駒札がなければ古びた土蔵と間違えてしまいそうだ。


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 地元の市川・瀬田農協の人たちが管理していて、毎年9月の第1日曜に「車僧盆会」が開かれる。当日は堂の周りに幕を張り、近くの寺の住職に読経を頼む。参拝者に土産を配ったりして、住民総出で祭を楽しむ。


 普段は扉がしっかり閉まっていて、何も見えない。参拝者はがっかりして帰る。取材した日は特別に開けてもらった。手に払子と数珠を持った1メートルほどの深山和尚の木製座像が安置してあった=同下。制作者や時代などは不明だが、一部の学者は室町時代初期の作としている。


 愛宕の天狗を打ち破った僧である。さぞ、いかめしいと思っていたら、柔和な顔の和尚さんだった。土地の人たちから「くるまんさん」と親しまれているのが分かった。

(2012年9月15日号掲載)


 
謡跡めぐり